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才能について

#コルクラボ  の企画で、名古屋の混浴サウナラボに行ってきました。女性は私1人でしたが、特に不安もなく行けました。それにしても、ラボに入り新しい経験が出来て楽しい限りです。それぞれの良いと思うものを、共有できる感動があって、コミュニティでするからこそ楽しいのかなと感じています。
そこで、少人数で話してから、最近感じること。#コルク の源泉なのかもしれないけれど、

「才能」

についてです。あなたは何かしらの才能があったらいいなと思いますか?私は、その言葉に翻弄された1人です、笑 それは子供の頃の経験からです。

幼少期から初めたピアノのこと。地元の小さな島から定期的に東京の音大教授の元に通う中で、周りからは神童だと言われたり、あなたは才能があるから、と言われました。東京芸術大学に行けるから、ピアニストになるのよ、
日本で最も優秀な芸術家が集まる大学だと言われ、1番とか優秀と言う言葉が子供ながらにとても嬉しく、練習を続けていたある日、衝撃が走りました。

コンサートで私よりも幼く、上手で表現力豊かな子供に出逢いました。その当時私は8歳位でしたが、その方は5歳。世の中の全てを分かった気持ちになりました。

私、神童じゃない!上には上がいる。

当たり前ですが、笑 自分がとても狭い世界に生きていたことに気付かなかったのです。その当時8歳で感じたことを、今でも鮮明に覚えています。

「才能ある人は沢山いる。その中で抜きんでたいと思うほどピアノに熱中していない。」

その想いの結果、結局高校3年時までピアノを続けて周りの期待に応えようと鬱気味になってしまい、音大受験は諦めざるを得ない状況になったのですが。

その後、上京して自分の好きに生きる中でも、どこかにピアノ以上の別の才能があるのではないか?と期待していた気もしていて。

あれから、十何年経ち今思う事。

まず、あれほど外側から認められる才能は今のところありません、笑 でも自分の中の確固たるもの、それを才能と呼ぶのかは分かりませんが、見えてきました。他の誰かと比較するものでなく、自分の中で確固たるものの存在が見え始め、人生の意思決定の指針になっています。

そしてそれは一言で表すと「愛」と呼べるもので。当時のわたしが心や体を壊してまでも喉から手が出るほどに欲しかったものは、  周囲からの評価や賞賛・名声でもなく、

「ほんものの自信」だったのだなと。

それはあるがままを見て愛して欲しい。という祈りだったのかもしれません。


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