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縄文文化と漆

昨日は、東村山の町に行ってきた。
娘が2月に東村山に転居し、ご縁ができた町はどんな町なのか調べた。
あれ?植物利用の遺跡がある場所やん。
東村山ふるさと歴史館で講演会がある。

ということで、昨日の娘の新居訪問となったわけ。

昨日の講演会で縄文人は30年くらいの寿命の中で、漆の技術があり、
そこには1mmの小さい縄に装飾が施されている。

漆の林をみんなで守り、その中でその技術を伝承していく。
当然、土器の技術もあり、なんと割れてしまった土器の修復までしている。

赤い漆を表現するのに、北海道由来の鉱物から水銀も使う。

私らの生き様って大丈夫か?
本当に生きるために学んでいるの?

貨幣経済も学校組織もないなかで、
こんなに素晴らしい技術が伝承されているって。

今自分はこんなに生きていて、縄文人の2倍も生きていて、何一つできてない。
そして悩んでいることって、何さ。

生きることを伝えたい。
生きるために何をしていくの。

人を殺掠して、何がしたいわけ?
支配と非支配の構造。
違う。

さあ、自分の足と目で色々なことを体験し、
感じ、そして次に何を学んでいくのか。


大学3年生になる息子が、
実験のための研究のためのサンプリングで、
寒い海で頑張っている。
それが楽しくて仕方がないという。

今まで同じくらい楽しいと思ったことは何?
「クラブチームでAチームに入れそうで頑張っていた、
中学1年から2年の初めの頃のオモロと同じくらい楽しい。」
(ケガで全て1からになってしまって、卒業した。それからは、受験勉強とか、とにかく、もう面白いということはないと思っていたかも。と)

勉強ってなんのためにするのかって、
いい仕事に着くためとか、なんでそんなこと言うのという、高校時代。学びは楽しいわけはないと。
母さんは世間知らずだと。

そんなことを言っていた息子がやたら、楽しい毎日という。

よし。

なぜ、中学高校時代の学びでそうならないのか。
やっぱり何かが変わらないと。

縄文時代から学びを知った昨日だった。


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