生きていることは不思議の連続
もう何年まえになるだろうか。
よこはまユースの企画で、青少年の居場所についての話を聞きに行った。
まだ現役で仕事をしていた時だったので、夕方19時からだったかに参加することはかなり厳しかった。
だいたいの企画は平日の昼に行われるから(上みたいに)
夕方の企画5回は遅刻してでも行こうと思った。
そこで、子ども食堂というか。
駄菓子屋をしているヅルさんにあった。
彼女はアート活動をしている先にこれがあったという。
なるほど、なんだか惹かれた。
行ってみると、子どもたちがいる。
テスト前には勉強会してる。
お手伝いしたいと思ったけど、月100時間も超勤しながら、京都のことや大阪のことを抱えていてそれ以上なにもできなかった。
……
このよこはまユースの企画は不思議な企画で、大昔横浜フォーラムの女性の再就職講座で知り合った人と年賀状のやり取り程度の付き合いで細々と続いていた人と再会した。
その人は福祉の仕事をしていて、子どもたちの支援をしていた。
後当時は同じ仕事をしていた若い方がその仕事を辞めて海外に行ってしまっていて、今も細々と繋がっている。
……
子ども時代・青少年時代の支援が私のテーマで、この時代の子どもたちや若者と一緒に生きたいということなんだ。
自分の人生を振り返るとそうなんだよなと思うことだらけ。
………
で、昨年から大津の棚田にご縁ができ、そのことをFBに書いていたら、細々と繋がっていたヅルさんから連絡があり、子どもたちに棚田のことを伝えたいと、お米を配達することになった。
仕事を辞めたわたしは、できればどこがで学習支援したいと密かに思っていた。
何度かお邪魔すると、子どもたちがテスト前に必死に勉強している。今まで、勉強したいと思ったことがない子どもたちが、やってるんだよ。
今日は予定してないから帰るけど次のテストの時は理数系の話ならできるから、と約束する。
で今月からぼちぼち出入りすることになった。
中学生は高校受験という壁がある。
この壁を目の前にした子どもたち。
わたしは、生きていることは素敵なことなんだと人生の後押しをするような学びの手伝いがしたいだよね。
………
学びの本質は何か。
学びを考える時に、
生きることが真ん中にないといかんのではないかと思うのだ。
自分の人生を振り返り、
生きるための学びを
身の回り自然と共に考え、
伝えることで、
オモロという感覚や、
生きていて良いんだよという、
自分の命の尊さを伝えたいなぁと。
……
わたしは今まで生きてこれたのが、
奇跡だと思っている。
よくもまあここまで生きてこれたなあと。
自分の存在自体にあまり意味を感じなかった。
今でも、そんな感覚がふと湧いてくることがある。
これが自己存在感だとか自己肯定感だとかいうやつなんだけど、
自己肯定感どころか、
この世に自分がいても仕方がないと感じることがあった思春期時代。
子ども時代は、体感で生きているので、根っこが育っていないとこの体感に揺らぎが出るんだよね。
この体感の揺らぎは、多分体幹の揺らぎにつながり、いろんなバランスが崩れてしまうだよね。、
……
自分ができることなんてちっぽけなこと。
でも、
自分のしたいこと、伝えたいことを、まっすぐに、捉えて、この不思議な人生を生き抜こうと思う。
……
細々と繋がっている人たちといつか再会できると信じて、
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