年を重ねるということ
ちょっと愚痴です。
コロナの制限が少しずつ緩和していく中で、父は今、自分の体調があまり良くなくて、コロナなので、施設に入っていることが何故だか入院になっている様子。
結核で2年くらい入院をしていたという経験があるので今の状況を入院ような合理化で自分を納得させているのだと思います。
実をいうと、私が思春期の頃から、理解ができない行動が多く、特に、女の私が意見をすること、考えること、学ぶことをすると、全て邪魔をしてきました。
定期試験の勉強をしている時、
進路選択をする時、
進学の時、
言葉では、一番を取れだとか、
好きにして良いと言いつつも、
女だからそれはいらんだとか、
父ちゃん自身がそんなことしてないからしなくて良いだとか。
直接的なことだけでなく、
勉強をしていると、ご飯を食べろ、風呂に入れ、ラジオをつけて勉強などできないとか、音楽聞くなとか、寝ろ…とか。
とにかく、生活の事細かなことまで、
指示してきて、挙句、学校まで乗り込んで、あれはさせないでくれと、先生に頼みに来るという有様。
お前なんて、大したことないから、
別に無理して働かなくても良い。
じっと我慢をしておけ。
みたいなことまで言われ続けていて、
その中で自分はふとした瞬間、生きている必要がないのかもしれないと、今でも思ってしまうのですよ。
そんな背景の中生きてきて、なんだか、いつも緊張していて、今の今でも、生きていることに違和感を感じています。
まず、思春期の時にそれが嫌で、自死願望があったり、
とことん吐くまでお酒を飲んだり。まあ、異常だったなぁと思うことを覚えていないくらいに体験しました。
その後、父の支配から離れるには、とにかくを家を出ること。
だから、お金を貯めることだとか、夜学に進学することを考えました。
それもうまくいかない。
だから、家から通うことが少し大変な、
父にとってそこそこ文句がないような学校に進学すること。
結果、2年遅れで進学するわけですけど、
その後の進路についても、
教授にまで「大学院進学をさせないでくれ」と言いにくる始末。
当時は、その行動も思春期や青年期の自分のことがよくわかってない時期であったこともあり、過干渉な親ということで括ってました。
結婚して、遠方に離れても、干渉してくる。
母に至っては、子どもの面倒を見るという言葉で、
我が家にある食器だとか、生活用品を勝手捨てる、入れ替える。
辞めてほしいというと、泣きながら、出ていく。
子どもがある程度大きくなると、
家族で仲良くしていて、仲間外れにされるだとか、
我が家に来て、みんなが団欒していると文句を言ってくる両親。
だんだん疎遠にんりますわな。
それでいて、お金をやりたいと言って、
大金を子供に渡して帰るわけです。
しょうがないのかな?と思っていたのですが、
歳を重ねることで、自分がその親の立ち位置に立つと、
気持ちが悪いくらいに異常だったと思うわけです。
父の「お前のうちに行くと、子どももみんな仲良くしているのが腹が立つ」と言い出したのは、もう20年くらい前のことです。
ちょうど会社で役員をしていて、周りの人は、ちやほやしてくれていたからですかね。お前のうちに来ると、俺のことを馬鹿にすると言い出すわけです。
ま、そんなこともありながら、本社勤めが終わり、大阪に帰るのですが、
その時も、別れが寂しいから引っ越しの手伝いはいらないとか、知らんうちに行ってしまいたいとかいうんです。子どもたちにしてみれば、ちゃんと挨拶もしないで、祖父母が近くからいなくなるわけです。
なんだか、訳がわからない訳です。
まあ、それからもいろいろあるのですが、
今も訳のわからないことを老人ホームに入居している中で、言っています。
コロナの制限がなくなって、ワクチンを受けたから、飲み会に行きたいから、ここを出たいと言ってみたり。田舎に行きたいと言ってみたり。お前らになんの迷惑をかけないから、家に行くと言ってみたり。
そんなことを色々と考える中で、
両親は、自分の人生を生きてくることができなかったのだとわかってきました。
自分という立ち位置も分からず、がむしゃらに目の前のことだけを頑張る。そうすれば誰かが食べるものをくれる。
これが基本なんですよね。
社会のためにだとか、
未来を生きることだとか。
自分がどんな人生を生きるだとか考えたことがない。
さらに、上の世代の人たちのごちゃごちゃに巡り合ったことがない。それは核家族で、生まれ故郷から離れたところで、親戚とも物理的に遠い場所にいて、残念だけど、人の死に目に合ったことがない。
その瞬間だとか、直後の心の動きをリアルに感じたことがないのですよ。
さらに物理的に大変なことも体感してない。
ぶっちゃけ、葬式のお金のことや祭壇の打ち合わせとか、病院の事務手続き、役所関係。
だから、ヘタをするとうちの娘の方がそんな体験をしているわけです。
最近知ったことに、父は大学時代アルバイトをしたことがなかったらしいことがわかり、この季節毎日のようにホタテの手伝いを早朝からしている次男よりも、体験が薄いかもしれないと気がつきました。
給料はバイバイゲームのように上がって行く。
世の中の価値観がドンドンと、変わって行く中で、認知症になることでなんとか自分を保っているのかもしれないと思います。
そして、誰かに頼らないと生きていけない。共依存する事で、なんとか保ってきた人生の最終章に入ったところでも、支配する相手と共依存したい。
残念ながら、私はその人生は選びません。
自分人生を自分の心と脚で生き抜きます。
よく考えると、扶養家族に入れてもらえず、
健康保険にも入れないと言われ、それでもお前は働かないで予備校に行くんだなと言われた19歳の春。(高卒で、働いていた会社に進学したいと言ったら、首を切られたので、自分の貯金で予備校に行き、進学すると行った時のこと)
ここで縁切ってもよかった。虐待ですよ。
国民総保険の日本において。
よくもまあ病気もケガもせずに生き延びれた。
おかげで歯はボロボロで30代で抜歯が始まり、今や6本のインプラントが入ってます。
それでも、今まで、なんとか生きてきました。
多分、今のバランスが崩れるのは時間の問題。
そうなるまで、ほっとくしかないなぁと。
うちの娘の結婚式の後、
うちの夫が立派なお父さんになって、
またあなたたちは自分の家族を大切にしなさいと言った母は、今の今まで、我が家の面倒を見ていたんですよね。
哀れで仕方がありませんが、
それが彼の生き様で、
私にとっては反面教師でしかなかった。
年を重ねるということは、
自分が次の世代に何を残せるかなんだと、
思うこの頃。
私は自然のオモロを伝える。
自然と離れている人をつなげる。
それだけやね。
さ、第二弾の理科まちやの田植えのために動こう。
やっと書けたよ。
両親のことは捨てれないけど、
近いうちの大変動までは客観視することにします。
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