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やさしさにふれて


#やさしさにふれて

HSS型HSP歴50年以上にもなる私は

他の人から観て 些細な事でも? 傷ついたり、やさしさにふれたり

の経験を数多く 出来たのだと思います。


例えば noteを始めるに当たっての勉強会に参加した時も

「誰に読んでもらわなくても 先ずは

 自分の書きたいことを書いてみても構わない」

と言う お話しもあったので

何か凄い文章力が無くても 子供の時のように楽しんで書けばいいのかな?

と思え、 やさしさにふれた感じがして 楽に始められました。

そして 思った以上に 自分自身の心の治癒になっているので

とても感謝しています。

なので 今回もその延長で

 記事タイトルも「スーッ」と心に入ってきた事もあり

 機会だからとも思い 数多くの経験の中から

父親の最期の時の やさしさにふれた事を書いてみようかと

思えました。


父が亡くなって3年以上になりましたが

入退院を繰り返した上、危篤だと連絡を受けて

事情もあり、国外からすぐに 病院に駆けつける事も出来ずに

約2週間も過ってしまいました。

 最期の再会は 半ばあきらめながら

天運に任せて… 早朝便に乗り

昼ごろ 日本の病院に到着しましたが 私達が来るのを

待っていたかのように どうにか生きていてくれました。


昔から 外見にも とても神経を使っていて

 おしゃれで 風格があるように思われ

女性にも人気のあった父の姿は そこにはありませんでした。


今思えば父もHSPで 生きずらかったと思います。

いつも外での疲労度が激しく 家では愚痴ばかりこぼすので

神経質で臆病でネガティブな部分が私自身にも受け継がれて

父にも自分にも葛藤の連続でした。

女性問題でも いつも母との喧嘩や逆切れが多く

私が両親から受けた心の傷は深く

ずっと父を許しきれずに 心の距離がありました。


けれど 最期のその時に 父は「わざわざ来たのか?」

と 驚いたように言うと 「食事はしたのか?」

「寒くないのか?」など 自分のことよりも私の事を

心配してくれるのに 戸惑いました。


そして最後の力を振り絞るようにして

父は 私の夫に目で訴えるように話すと

夫も「わかってます」と返事をしていました。

暗黙の了解で私と子供の事を頼んだとわかりました。

「そしておとうさんも、これ以上声も出ないし

 もう休むから… お前達も疲れるから行きなさい」

 と言って力いっぱいの握手をした後

軍隊式の敬礼をして私達を見送ってくれました。

そして 深夜 父は逝ってしまいました。


子供の頃から散々葛藤してきた父との関係でしたが

最期は 病のために苦しい時間を過ごしながらも 私達が来るのを

待っていてくれて、旅立った父、不器用なりに最期まで、私達に気配りを

してくれた 精一ぱいの 父のやさしさにふれられた事を

今 やっと ここに書くことができました。

ありがとうございます。
















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