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私の職務履歴書(20代編)

【経歴】
早稲田→大手インフラ→財閥メーカー→無職

【資格】
TOEIC805点
簿記2級
USCPA挫折…他には非常にマニアックな会計と税金の資格を保有していたような気がするが思い出せず。

一言で言えば俺は財務経理歴こそ長いが特別な実績を挙げたわけでも難関資格を保有しているわけでもない2〜3流の経理マソだった。サラリーマンとしてのキャリアは財務経理一筋だが大学では会計学を勉強したわけではない。経理を志望した理由は営業を絶対にやりたくなかった(非リアコミュ障だったので)。また経理なら転職しやすいという安直な理由(リーマンショックによる就職氷河期で就職活動が上手くいかなかった。ゆえにリベンジしたいと当時は思っていた)に過ぎなかった。

今振り返ると本当に軽薄かつ不義理な理由で経理を志望してしまったと思う。人事担当者も新入社員研修を通じて俺が営業には不向きだということを理解していたのだろう。幸か不幸か初期配属は経理部となった。当時の俺は計画通りだと内心ほくそ笑んでいたが、それが大いなる不幸の始まりだと本人含めて誰もが知る由もなかった。


【大手インフラ時代】約5年
主に工場に関連する経理をやっていた。経理の仕事はパソコンとにらめっこさえしていれば良いとタカをくくっていたが予想以上に色々な部署(工場、研究所、システム、購買部署)の人達とのやりとりが発生し、こんなんはずじゃなかったと戸惑ってしまったことはよく覚えている。また初期配属の時にランデブーしたお局様との相性が最悪で最初の2年間は会社へ行くのが嫌で嫌で仕方がなかった。その後、紆余曲折を経てお局様と和解し、仕事が軌道に乗りはじめる。そして新会社の立ち上げに伴ってその会社の財務経理を1人で担当する的な仕事(前任者は過労死した)に従事することになる。正直わけがわからなかったが1人で予算から税金、資金繰りまでを担当したのでものすごく勉強にはなった。大変ながらもそれなりに充実した日々を送っていたが、突如として舞い降りた上司が社内最凶のパワハラ・ロジハラ上司で仕事が全く進まなくなり、愛社精神と仕事のやる気を完全に喪失してしまい転職することにした。


【転職活動】
転職活動は客観的に見たら成功と言えるものだった。新卒就活の時には内定を1社しか貰えなかったのに対して転職活動では優良企業から内定を4社ほどもらうことができたからだ。俺の本来の力はこんなものじゃない。もっともっと上にいける。あの時ほどの万能感は当時から今に至るまで人生で一度も味わえたことがない。それほどまでに有頂天に達していた。そして文字通り有頂天から転職を境にして人生は駆け足で奈落の底へ堕ちていくことになる。


【財閥メーカー時代】約3年
最初の部署では投資関連(採算計算)や予算実績の管理・分析みたいな仕事をやっていたが求められるレベルが高かったことに加えて前代未聞と言っても過言ではないパワハラ上司と出会ってしまったことで、希望に満ちていたはずの転職が絶望のレクイエムと化してしまった。

最初の部署では上司と仕事に全くついていけず、その後ど田舎にあるボロい工場(子会社)に左遷されることになった。比喩ではなく人よりも鹿やサルの方が多いぐらいのど田舎。左遷先では投資関連(採算計算)をやりつつ子会社の原価計算、決算一通り・プロジェクト案件・海外孫会社管理的な仕事をやらされていた。左遷させられた割に仕事は重く、とりわけ都会育ちの自分にとってど田舎勤務・生活は大変辛く厳しいものであったが同僚には恵まれたおかげで辛うじてではあるがギリギリ踏み止まってはいた。

だがしかし運命とは残酷であり、堕ちた人間にすら容赦なく試練を与えてくるのだ。そして凡人の大半は与えられた大いなる試練を乗り越えることができない。会社帰りのとある日、老人が運転する車にはねられたことで坂を転がり落ち続けていた俺のキャリアは幕をとじることになった。

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