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格闘ゲームエンジン『M.U.G.E.N.』について思いを馳せる

ゲームについて調べごとをしていたら、いつもよりも激しく横道に逸れてしまい、長々と『M.U.G.E.N』について検索してしまった。『M.U.G.E.N.』とはインターネット上で配布されている2D対戦格闘ゲームのエンジン兼エディタである。アスキー社の『ツクール』シリーズにも近いアプリケーションなのだが、家庭用ゲーム機との違いはなんといっても「PCの中にあるデータが使用できる」ことだろう。自分でグラフィックを描いたキャラクターを動かせるし、既存のゲームのアニメーションや音声さえ用意すれば、アーケードや家庭用ハードでしか遊べなかったゲームのキャラクターさえ使用できるのだ。企業の垣根を越えた作品同士の交流が珍しくなくなった昨今だが、『M.U.G.E.N.』は早くからこの光景を実現させられる環境だった。
 開発元であるelecbyteは謎の多いチーム(?)で、99年7月27日に「MS-DOS専用」に発表された『M.U.G.E.N.』(通称「DOS版」。「9X.07.27 」といった記述が加えられることもある)が初リリースである。その後は「2001.04.14」と呼ばれるバージョンまで短いアップデートを重ねたが、その後沈黙と突然の浮上を繰り返しては、その間にファンメイドのクローン的バージョンが作られていった。
2011年にelecbyteから「Windows版」(以下・Win版)のバージョン1.0が発表(後に1.1を更新)されて以降は、2021年8月現在まで音沙汰が途絶えている。つまり『M.U.G.E.N.』だけで20年以上存在感を出し続けてきたことになる。


 インターネット上で初めて公開されてからちょうど14年後に発表された『Win版』バージョン1.1には製作者によるreadmeファイルが同封されている。これによれば、『M.U.G.E.N』のプロジェクトが立ち上がったのは97年とのこと。つまりリリースの7月から逆算すれば、製作期間自体は最長で半年である。
readmeには当初シューティングゲームを作っていたはずが、途中から2D格闘ゲームエンジンへ舵を切ったとも書かれている。参考にしたのは韓国で出回っていた『スーパーストリートファイター2』の海賊ROM『SFIBM198』。「スト2ハック」というジャンルでダントツの出来(暴走)を誇る『レインボー』や『降龍』と比べると見劣りするが、「PCでアーケードゲームを動かす」、「グラフィックに手を加える」、「インターフェースやゲームスピードをいじる」といった要素は、elecbyteを「2D格闘ゲームのエンジン」というアイデアに向かわせるには十分な刺激だったのだろう。
さらにreadmeには「『M.U.G.E.N』は90年代中期の2D格闘ゲームの技術に匹敵するものを目指して設計された」と書かれており、続けて「プログラミングの経験に乏しくても、多少の芸術的センスと忍耐力があれば仕組みを学習できる」とも。この記述は、あくまで遊び手目線でゲームを作るという意思が伝わってくる。今では技術的な意味でも3Dが主流になっているが、当時としては2Dアニメーションがベースならではの高い流用性が『M.U.G.E.N』の人気へと繋がったようだ。後述するハックキャラクターの多さもそれを裏付けている。

先にも書いたが、初リリース時の『M.U.G.E.N.』はMS-DOS専用であった。仮想機械やエミューレーターなしでは最新のOSでは起動できないということである。たとえばカラーは256色に指定されているので、使用しているOS次第ではバージョンを落とさないといけない。筆者も、後述する「Win版」導入以前は、Windows XP上で「Me」の互換モードを設定してからDOS版を起動させていた。

 『M.U.G.E.N.』ではシングル、対戦、チーム戦、観戦などの複数のメニューが選択できる。デフォルトで使用できるキャラクターは「カンフーマン」のみで、ステージは道場とおぼしきそれが一つ用意されている。このカンフーマンは、多くの対戦格闘ゲームがそうであるように、スタンダード=空手という『ストリートファイター』的イメージで作られている。些細なことだが、同作の主人公格であるリュウやケンが使う波動拳のような飛び道具を持っておらず、掌底をつきだす『スパ2』の烈火拳(フェイロン)的な技があったり、スーパーコンボに値する顎への突きが『M.U.G.E.N.』製作中にリリースされた『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』で登場した「まこと」のスーパーアーツに類似しているのがちょっと気になる(単に飛び道具のスプライトやスクリプトを用意するのが面倒くさかっただけかもしれないが)。

 一番最初に作られたファンメイドの『M.U.G.E.N』キャラクターとは何なのだろう。既存のゲームからのものなのか、それともカンフーマンのようなオリジナルなのか。それを検証するのは非常に難しいのでこの場では諦めるとして、ゲームエンジンとしての『M.U.G.E.N』が注目を集めたのは、既存のゲームからのキャラクターを実際に移植できていたことによるのは間違いない。『ストリートファイター2』のザンギエフが、『サムライスピリッツ天草降臨』の羅刹ナコルルと対戦している。あくまで絵面上のことではあるが、企業の垣根を越えたドリームマッチ的絵面が、2000年8月にアーケードで稼働する『CAPCOM VS. SNK MILLENNIUM FIGHT 2000』のようなゲームよりも先に実現してしまったのだ。

筆者お気に入りのキャラクター。作られた背景がわからないまま遊んでいた。

 『M.U.G.E.N』のキャラクターを作るには、まずキャラクターのアニメーションが必要となる。連続する一枚絵から構成されるスプライトを統括したものをSFFと呼び、これに「当たり判定』や「攻撃判定」を管理するAIRファイル、必殺技などコマンド関係の仕様を決定するCMDファイル、キャラクターの動きなどの軌道関係を記したCNSファイル、音声を管理するSNDファイル、そしてこれらのファイルを参照させるインデックス的役割を持つDEFファイルを揃えることで『M.U.G.E.N.』のキャラクターが完成する。当たり前のことだが、既存のゲームのキャラクターがオリジナルと大差ない動きを実現できているとしても、それは『M.U.G.E.N』用に一から設定されたキャラクターなのだ。
DOS版時代はキャラクターメイキングのノウハウが共有されていなかったこともあってか、オリジナルまたは「非格闘ゲーム」のキャラクターが多かったと記憶している。再現すべきオリジナルがないため、我流に挙動が設定できる分、制約がないというわけだ。「おはよう先生」のZガンダムネタは今見ても脈絡がなさすぎて笑える。
 3Dグラフィックのゲームでは、Mod(ユーザーによる改造・改変を指す語)としてグラフィックが変えられることが当たり前になっている。『M.U.G.E.N』における版権キャラクターのメイキングも似たようなものなのだが、こちらは「既存の製品から」データを吸い出して、それを素にキャラクターを作っているため、著作権に触れることが懸念され続けてきた。ユーザーが増えるにつれて、個人使用の範疇を越えてしまった例(たとえば動画サイト上での共有)も常態化してきた。これに関してアクションを起こしたメーカーはほぼ皆無で、半ば黙認という形で続けられていた。数少ない例外はアークシステムワークス(『Guilty Gear』シリーズの開発元)で、2010年に『BLAZBLUE』シリーズの基盤がクラックされてスプライトを『M.U.G.E.N.』用キャラクターへ流用された事例に対し、同社は警告文を発表した。

 『M.U.G.E.N』の起動に成功し、キャラクターやステージの追加、さらにはアドオン(タイトル画面、キャラクター選択画面、体力ゲージなどゲーム全体の外観とインターフェースにあたる)の変更にも苦労しなくなった筆者は、ひたすらにキャラクターを追い求めてネットの海を漂流した。時期にして2002年後半から2003年頭だろうか。この頃には人気タイトルから移植されたキャラクターも珍しくなかった。海外プレイヤーは人口も多く、ヨーロッパ圏はもちろん、ブラジルや中国サーバーにも大規模なフォーラムが存在し、自然な光景としてキャラクターのアップロードが日夜続けられていたと記憶する。筆者が英語を用いたやりとりをネット上で目にしたのはこの時が初めてだったと思う。
一番多く見かけたのはスプライトに手を加えたキャラクターについてのスレッドで、雑に言えばハックキャラ、格ゲー用語でいう「コンパチ」である。既存のキャラクターを叩き台にして別のキャラクターを作るという、製作期間と手間の二つに打ち勝つための策だ。『ストリートファイター』シリーズでいうならリュウ、ケン、豪鬼たちがわかりやすい例だろう。ここまでに何度も書いているように、『M.U.G.E.N』では有志それぞれがスプライトに描き足しては、設定上でしか存在しないキャラクターや、まったく別のそれに生まれ変わらせていた。目立ったのは前者で、カプコンの『X-MEN』または『MARVEL vs CAPCOM』シリーズのスプライトを、ゲームには登場してないMARVELキャラクターに描き換えた例を何度も見かけた。同シリーズにはカラーと微妙に異なるキャラクター性能を持つコンパチキャラがお約束(メカザンギエフとかハイスピードヴェノムとか)だったので、『M.U.G.E.N.』が同社タイトルの延長にあるような錯覚を抱いたものである。
 個人の体感に基づいたものであるが、このゲームおよびキャラクターの詳細を共有するフォーラムが格闘ゲームのデータベース的役割を果たしていた。これらを通してリアルタイムでは体験していない数多のゲーム、または地元のゲームセンターには入る見込みのないそれらを知ることができたのだ。『M.U.G.E.N』がなければ、NEOGEOのやけに高いROMでしか出ていないタイトル、例えば『RAGE OF THE DRAGONS』のキャラクターなんて知る由もなかっただろう。『堕落天使』に至っては、家庭用に移植されていないのに『M.U.G.E.N』用キャラクターが公開されており、その強烈なヴィジュアルを実際に拝むために通学路エリアのゲームセンターを回ったものだ(どこにもなかった)。また、家庭用でしかリリースされていないタイトル(初代『Guilty Gear』、洋ゲーである『Primal Rage』、PSで出ていた『シャーマンキング』の格ゲーなど)や、PCで稼働する「同人ゲーム」の類から移植されたキャラクターも少なからず存在しており、後者にあたる『THE QUEEN OF HEART'98』(『To Heart』シリーズのキャラクターによる格闘ゲーム)や『メルティブラッド』シリーズのキャラクターはそのヴィジュアルの独自性に驚いたものである。後年、その『メルティブラッド』がアーケードに進出した時はもっと驚いた。
 2004年にカプコンが無数の自社タイトルからのキャラクターを登場させた『CAPCOM FIGHTING JAM』を見た時はまっさきに『M.U.G.E.N』を連想した。同年にサミーが『Guilty Gear Isuka』(『餓狼伝説スペシャル』を思わせるライン制バトルと最大4人対戦が目玉の異色作)出した時も同じだった。実際に遊んだことはないがその存在は知っている、そんな知識重視な意味でのオタク層へ目配せするように、この時期から「オールスターもの」が作られるようになったのは単なる偶然、製作期間の都合なのだろうか。

 2001年11月にelecbyteは製作環境をLinuxに移行し、『M.U.G.E.N』の新バージョンも同OSに向けて開発していた。しかし開発は頓挫し、しばらくの沈黙ののちにelecbyteはWin版の製作を発表する。そのための寄付を募り、限定的に試作品を配布もしていたようだが、またしてもelecbyteの活動は更新を経ち、次に表立った声明が出たのは2007年のことであった。この沈黙期間に配布された試作品の「Win版」があちこちにミラーされ、DOS版にとって代わるようになってしまったようなのだ。「ようなのだ」と書いたのは、筆者も当時このバージョンをダウンロードして使用していたのだが、こうした経緯があったと知るのはずっと後になってのことであった。手に入れたのは2003年頃で、当時は「DOS版のキャラクターを動かそうとするとフリーズする」、「色化けがすごい」などの問題が頻出しており、それらを修正するパッチが大急ぎで作られていたと記憶する。
Win版はDOS版よりも起動周りが楽になっただけではなく、「DoubleRes 」コマンドによる解像度の向上など、色々な部分で改善が見てとれた。Direct Xがインストールされていなければ動かなかったが、こうしたdll各種も入手が簡単なくらいにはスタートアップ環境が整っていた。プレイヤーの数もこの時に増えたと思われ、有志がwikiやフォーラム、そして匿名掲示板上のスレッドで情報を共有していた。レアなキャラクターの入手場所もよく話題に挙がっており、クレクレくん呼ばわりされることを意にも介さずキャラクター収集に励む人も多かったと思われる。こうした情報共有の場は半ば無法地帯になっており、筆者は使用経験こそなかったけれど、P2Pツールでのやり取りを示唆する場面に出くわすのはザラであった。中国サーバーのmp3アップロードサイトから入手したゲームのBGMやアニメソングが、有志のフォーラムやアップローダーにもアップされ、出所が不鮮明なまま共有されていく。適当にリンクをクリックすると、Windows Media Playerが開いて(あの懐かしい)エフェクトと共に『闘婚 豪血寺一族』のBGM(というか歌)が爆音で流れた時の衝撃は忘れがたい。

 Youtubeがオープンした2005年中頃、『M.U.G.E.N.』動画も御多分に漏れずアップロードされていた。早くから存在していたのが「レアキャラ自慢」であり、これは多くが作者都合で公開停止になったキャラクターが動いているところを紹介する内容であった。コメント欄ではおおっぴらすぎるため、フォーラムや匿名掲示板のスレッド内で詳細を確認するという流れが散見できた。2007年には『ニコニコ動画』がサービスを開始し、ここでも『M.U.G.E.N』動画は一ジャンルとして人気を博していたようにみえる。筆者はちょうどこのころから完全に『M.U.G.E.N.』に手をつけなくなった。理由は他にやることがあったから、という単純な理由だが、流行りものになったから興味をなくしたという天邪鬼な感情を抱いていたのは否定できない。また、動画栄えするようなキャラクターがやたらと作られるようになったわけだが、その基準が自分のそれと合わなくなった理由も大きかった。ゲームセンターで実際に稼働していてもおかしくないほどに高クオリティなキャラクターが多数作られていたが、それらはあまりにウェルメイドプレイであり、インディーゲームらしいアイデアと技術のアンバランスな比率が弱かった。試作Win版が出回っていた頃に公開されていた、無理やり格闘ゲームの世界に召喚されたようなキャラクターが好き放題動いている(そして時折フリーズする)光景の方が好きだった。
 今と昔で度合いに差はあれど、『M.U.G.E.N.』で動画栄えするキャラクターが多く作られるのは自分の中で説明がついている。それは『M.U.G.E.N.』が普及し始めた2000年からの数年間にアーケードや家庭用でリリースされていた、「オールスターもの」の影が、『M.U.G.E.N』とセットになっているから、というものである。上にも書いた『カプエス』シリーズなどのアーケードタイトルはもちろんだが、なんといっても任天堂のキャラクターが一つの画面で戦う『スマッシュブラザーズ』シリーズの存在は大きいだろう。なお、ニンテンドー64で初代『スマブラ』が発表されたのは99年4月27日。『M.U.G.E.N.』の最初のリリースの3ヶ月ほど前である。『M.U.G.E.N.』がデフォルトで4人対戦モードを実装してたことを考えると、『スマブラ』のことも頭の中にあったのではないか、と思いたくなる。「観戦モード」が実装されていたことも、後に登場する動画サイト上での普及と噛み合った。語弊のある言い方かもしれないが、プレイヤーではなくオーディエンス、いわゆる動画勢のためのゲームという視点を持ってみると、『M.U.G.E.N』と『スマブラ』は非常に近いものがある。
2013年の『M.U.G.E.N.』バージョン1.1に同封されてるreadmeファイルには、あくまでゲームを「作る」ことに重きを置いて開発されたことが書かれていたが、昨今の動画栄えはelecbyteも予想していなかった、しかし一つの理想であったのかもしれない。

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