このnoteの具体的手法と危険性

ヒラヤマです。

このnoteの目的について読んでいただいた方向けに書いてあります。先にそっちを読んでください。

どうも、上記noteでは観念論をなるべくわかりやすく、やさしく、短く書こうとした反動で色々な誤解を生んでしまっており、大変申し訳ありません。お詫び申し上げます。

目的は上記の通りなのですが、そのために何をやるのか。もうすこし具体的に、私は今何をやっていて、それがどう危険なのかを書いておきます。

私が主張している「内容」は、決して優しくも、安全でもありません。非常に過激な内容です。しかも無責任です。とくにあなたがいまなんらかの少数派、マイノリティの場合、noteの内容全てを真に受けることや、直ちに実践することはやめてください。なんとなく納得してしまっても、疑い続けてください。これはnote全体の大前提なので、毎回説明するとは限りません。

一応何度か書いていますが、はっきり書くと、いま「相互理解」的精神というのはインターネットの個人が一人で、真面目に実行すると単に搾取されたり、言論でボコボコにされる可能性が高いです。そこまで行かなくても、インターネット生活でストレスが溜まることでしょう。やめてください。また、何らかの少数派全体にこれを強いることは、当然危険です。

noteは

1.「相互理解」の必要性や具体的説明、説得を時事ネタなどで行う

2.「相互理解」を実際に良心に頼らず実行するシステムへのアイディア、論考

で構成されています。「相互理解」の説明、説得などと綺麗な言葉で書きました。ですが、これは要するに横殴り、しかも少数派特攻です。

1.「相互理解」の必要性や具体的説明、説得を時事ネタなどで行う

ってどういうことか? ようするに、「相互理解」の不在と、その結果の絶対的な対立をひたすら記述するだけです。これは優しい行為、親切な行為でもなんでもありません。私の理解では、ネットの対立言論は常に、なにかの事件をきっかけに、Aという派閥が「正しさ」を持ち出して、Bという派閥を「攻撃」する、その結果対立が激しくなり、「正しさ」に関する多数決ですべてを決めるしかなくなる、という構造です。これを炎上ネタをもとに説明、説得します。

Aが圧倒的多数派なら、Aの人々はそんなのお構いなしです。だって多数決で勝てる見込みがあるので。つまり私が攻撃しても鼻で笑えます。

Aが少数派で、論点が非常に大切なら、Aの人々はこの構造自体を受け入れること自体を拒否します。多数決で敗北確定、攻撃も無駄むしろ多数派に逆用されるので害悪、そんな事言われて嬉しいはずがありません。

もちろん私の主観では、これは私が作ったものではなく、構造上自明です。しかし、Aの人にはこれが私が捏造した危険な論理にしか見えません。受け入れる利益もないです。ゆえに無視して「大衆扇動」を続行します。つねに私とはコンフリクトが発生します。

重要なのは、これはどちらの認識が「正しい」とかの話ではないということです。

私はこの構造の説明や説得に関し、誰が相手であろうと絶対に譲ることはありません。批判や反論をされても、つねに全力で論駁をするし、「優しく」説得することもありません。汚い言葉は使わないようにしますが、全力で攻撃を続行します。相手が対話を拒否したら、そこで打ち切ります。優しく説得してもそれは優しい攻撃にほかならないので、やりません。むしろ一見、受け入れやすい分、危険になってしまいます。説得とは、恐ろしい構造を受け入れろ、と迫るということです。

ただし、論駁と言ってもこれは私の「独自研究」つまりネット炎上に関連する全くの根拠のない作文、そしてその後の「レスバトル」です。論拠もないし、論法も詭弁、出鱈目かもしれません。気楽に読める、というのはそういうことです。批判する必要もないし、受け入れる必要もないです。読む必要もないです。不快ならスルーしてください。ただし、これは詭弁かもしれませんよ、独自研究ですよ、受け入れないでね、などといちいち優しく言ったりはしません。それは前提です。

私のnoteの一連の行為は、短期的には絶対に、「自称中立派」から少数派への攻撃になります。動機はわからないので、区別が付きません。最低限、「個人攻撃」には絶対にならないよう、「個人攻撃」の論拠は必ず潰しておくつもりですが、派閥への攻撃は回避できません。構造を明らかにすること自体が停戦への呼びかけ、降伏勧告になってしまいます。しかし、それをやります。

とりあえず私の責任で立論する、というのはそういう意味です。

目的には納得するけど、上記の手法が過激すぎるとか、もっと穏健で優しい、うまいやり方がある、という方は、ぜひその手法を匿名で実行してみて下さい。

これは嫌味などで言っているわけではなく、私のnoteの究極目的はそこです。そもそも今、私自身は一切信用できないので、なるべく誰かを巻き込み、しかし中心を私にしないというのが目論見です。

ちなみに、いまのところ私は本論考をどこかに持ち込んで出版したり、また所謂ネット「論客」デビューするつもりは一切ないです。しかし、そういう方法をやりたい方がいれば、自由にやって構いません。アイディアなども勝手に改変して使ってください。第三者として宣伝や批判を一方的にする可能性はありますが、何かを要求することは一切ありません。

自分の責任で「インターネット新民主主義運動」をするとかも、とりあえずは無いです。もしこの手法ならいける!と真に確信したらやるかもしれませんが、多分たどり着ける可能性は限りなく低いでしょう。

この時点で非常に無責任かつ危険な行為、論法であることが分かっていただけたでしょうか?そして、それは各noteに対する具体的な私の意見で変わるものではないです。それは最初からの前提で、変更不能です。変わっているように見えるのは単にそれぞれの論点に対するあなたの立場が変わっているだけです。

2.「相互理解」を実際に良心に頼らず実行するシステムへのアイディア

これ自体も、アイディアなどとは名ばかりで、既存手法への徹底批判無責任かつ無根拠な空想、どちらかだけです。それを並べていくに過ぎません。

これも、攻撃的かつ無責任だとか、独自研究などと言われても、そのとおりだとしか言いようがありません。その主張を真であると受け入れはしますが私の行動に一切変更はないので、時間の無駄です。「自己批判」的なnoteも一応、定期的に書くつもりではありますが、これも何度も述べているように、いま全ての人にとって「自己批判」自体も単なるポーズ、誠実であるアピールと区別が付きません。多少はやっていきますが、本質的には悪あがきです。

この「アイディア」の論考も、目的は私のアイディアを誰かに受け入れてもらうことではないです。全く別のアイディアをゼロから考えてもらう、そのための思考実験例です。不満があれば、個別のアイディアを批判するなり、全く別の観点から論を建ててください。

本noteは最初から最後まで良心の欠如した、攻撃的かつ無責任な独自研究です。

これを、私は一切単なる趣味として行います。投げ銭はくれるなら頂きますが、返せと言われれば投げ返します。ちなみにこれをやると、ただnoteに手数料分だけ抜かれるっぽいです。よく分かってませんが。

このように、色々危険かつ自分勝手な取り組みなので、肩の力を抜き、部屋を明るくして、いろいろな意味で離れてご覧いただく、という方向で、一つよろしくおねがいします。

では。

追記5/28

以上の警告を読んでいただいた上で、もう少し解像度を上げた「論考」のうち、今の所一番まともそうな内容は、以下のnoteから開始します。


以下はわからない人はスルーしてください

「ルール0」的な話は、相当人が集まったら再開するかもしれませんが、多分そこまで人を集めるのは私では無理なような気がしています。。。まあ分かりませんが。

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