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見ることができて行けないところ

はじめに

これはゲームとことばのアドベントカレンダー15日目に向けた文章です。
今年のテーマは「ゲームと人生」です。

友達がDSやWiiを買い与えられているなか、中学生までゲーム禁止だった代わりにディズニーランドの年間パスポートを買い与えられていた時期があり、その時の経験が今の自分のビデオゲーム観にかなり影響を与えているのでディズニーランドについて書いてみようと思います。 
noteに注釈機能がなかったのでフリガナこの機能を使って無理矢理再現していて注釈の文字の間隔とかがデバイスによっては読みにくいかもしれないです。すんません。

ほっといて

トムソーヤ島のサムクレメンズ砦、騎兵隊の駐屯基地の中から大きないびきが聞こえてきます。
音につられて基地に空いた小さな窓から音のする方を覗くと、風で揺れるカーテンの隙間からいびきに合わせてカクカク動く足を見つけることができます。

彼を見つけたのは小学生の時です。なぜか孤島の砦の中で営業しているフードショップで買ってもらったバナナシェイクを飲みながらふらふらしていた時に1番お店から近いからという理由で彼の存在に気付きました。初めて見た瞬間は勝手に入った人が寝ちゃってるじゃんと思った記憶がありますがちょっと見ていれば足だけの機械であることをすぐ察っしてしまうくらい動きにループ感があったり音質のしょぼいスピーカーから爆音でいびきが聞こえるので一瞬で魔法は解けていた気がします。ですが仕掛けがわかっても彼への興味が尽きることはなくむしろここにずっと居たいくらいの気持ちになり待ち飽きた家族に移動させられるまでの1時間以上ずっと眺めてしまっていました。
小屋の中に自由に出入りが出来て、自分がカーテンの中まで見ることができたらここまでこの足だけの人間に惹かれることは無かったでしょう。誰も小屋の中に入れないから他の人間が視界に入ることはなく想定された演出が破壊されることもない。自分が窓に頭を突っ込んで見つめている限り、確かに駐屯基地で隊長が居眠りしているのを自分が覗いているという物語があり続けてくれていたのが面白かったんだと思います。
ディズニーランドにはこうした特定の時間を切り取った空間を柵や窓越しに覗かせるストーリテリングで溢れていて、アトラクションやQライン、  ※1パーク全体の至る所で目にすることができます。当時はこのストーリーテリングに夢中だったので好きな場所を見つけたら数時間居座って疲れて帰るのを繰り返していたいかれたガキでした。

  ※1 Qラインとはアトラクションの待ち列、及び待ち列を作るための空間。かなり初期のアトラクションは簡素な物も多いですがちょっと新しいものになると殆どが上記のようなストーリーテリングで構成されていて物語の導入としての役割を担っています。アトラクションは映画の追体験をする側面が大きいですがQラインでプロローグを語っているのでアトラクション自体は映画の中盤や後半辺りの再現になっていることが多い印象です。Qラインの由来はqueueです英語にしただけ。                  

Qライン例:「ロジャーラビットのカートゥーンスピン」ライティングが良い

  居座っていた場所例:旧スターツアーズ出口付近の公衆電話で電話するドロイド                          
そんな遊び方をしているうちにあっという間にパスポートの期限が切れ、念願のビデオゲームが遊べる年になってディズニーランドの事はすっかり忘れてしまっていましたが、割と早い段階で出会ったValveのゲーム達の中でかなり近い思想のストーリーテリングが頻繫に使われているのに気づきすぐに思い出させられる事になります。
今思えば同じ空間を使った演出なので当たり前ですが、ビデオゲームでもあの足だけの人間を見た時と同じ感情になれることに驚き、ゲーム自体への興味を持つきっかけの一つになった事を覚えています。
こういっていても伝わりづらいと思うのでValve作品で類似するストーリーテリングを雑に幾つか挙げていきます。
初めて意識したのはHalf-Life2の序盤のこのシーンだったと思います。視線に入らなければスルーしてしまいそうなシーンですが話し声が導いてくれます。

市民が尋問されているのを覗くことができるがしばらく見ていると尋問している兵士が気づいて窓を閉めに来る
基本的にこの種の演出が物語の主役になることはないのですが道をふさぐように現れないからこそのリアリティがあります

一昨年には2007年以来のシリーズ最新作である「Half-Life: Alyx 」がVR専用でリリースされましたがVRになってゲーム内の動きがより人間のする動きに近づいた(移動の不自由さと視覚の自由さ)おかげでよりこのストーリーテリングが使われているシーンが効果的になっていました最高。

主人公がたまたま通りかかった狭い通路の隙間からストーリーを主導していた目的に関わる会話内容を盗み聞きするシーン。声の主はシルエットだけが視認できる
「美女と野獣“魔法のものがたり”」のQライン、映画美女と野獣でのディナーの誘いを断られて怒り狂うシーンの再現。影の動きと声がメインの演出繋がりで思い出した

Portal2ではメインのゲームプレイはパズルですが、パズルとパズルの間の移動が発生するためそこをストーリーを伝える時間として使っています。
Portal2の舞台は無人になってしまった実験施設でのお話です。職員がみんな死のうが主人公がうろちょろしてようが工場やロボットは何事もなかったかのように稼働し続けていてプレイヤーはその様子を横目に進むことになり、狭い通路やバックヤードから施設やロボットを眺めるシーンとたくさん出会えます。

自然とプレイヤーを物理的に行けない向こう側を意識させるこのストーリーテリングは、移動手段として自分の体は通れないくらい細い隙間を覗いてそこから目的地に向かってポータルガンを撃って移動するというこのゲームならではのゲームプレイともかみ合っていて美しいです。

これらのストーリーテリングで私が一番魅力を感じている部分はストーリー的には私たちが存在しないかのようにふるまっているくれるところだと思っています。
不自然なくらいでかい声で喋ったり強烈に存在を主張はしているのですが、あくまでこちらには気づかないもしくは気づいても興味がない姿勢でいてくれるおかげで自分がそこからいなくなったとしてもこのままこの世界が存在し続けてくれている様な気持ちにしてくれます。
自分が主人公ではなくただの通りがかった人であることでキャラクター達や世界と対等になれるんじゃないでしょうか。
エンディングなんて見たくなくて延々とごっこ遊びをしていたいんですよ。

乗りもの

上記の話だけだとディズニーランドの中でも孤独な側面の紹介に留まってしまうので積極的に物語に巻き込んでくる性質の強いライドタイプのアトラクションについても書いておこうと思います。
テーマパークのアトラクションは公式のタイプ分けを見るにライド、ウォークスルー、シアター、体験の4つに分類できそうです。

  • ライドは文字通り乗物に乗るタイプのアトラクションです。物語の進むスピードは決まっていてこのシーンもうちょっと見てよ、みたいなことは出来ません。

  • ウォークスルーは歩いてみて回れるタイプのアトラクションでほぼウォーキングシュミレーターです。自由に見て回れるアトラクションが多いので個々の物語の時間的な繋がりは希薄です。さっきの覗くストーリーテリングはウォークスルータイプで一番目にします。

  • シアターは椅子に座ってショーを鑑賞するやつ。

  • 体験はちょっとだるいですね。ライドであり体験、ウォークスルーであり体験みたいなのもありますし、そもそも全部体験じゃんとも言えてしまうし。ここではインタラクティブな要素があるものということにしときます。

一応ゲームについてのエッセイですがインタラクティブ要素のある体験を無視してこの中でもライドタイプについて書こうと思います。単純に一番よく見るんですよね。
先ほど挙げたPortal2、Half-Lifeはライドで始まります。

「Portal2」自分が目覚めた部屋ごとレールみたいので引っ張られて無理やり脱出させられる
「Half-Life」主人公がモノレールでやばめな施設に通勤するシーンから始まる

Valve以外のゲームでもこのライドアトラクション風ストーリーテリング(プレイヤーは視点移動と乗物内の移動がたまにできる)は使われていて、主に一人称視点のアドベンチャーゲームのプロローグ部分で目にすることが多いです。スカイリムの馬車、Bioshockの潜水艦、最近だとBefore Your Eyesなんかも船スタートでした。

このストーリーテリングの意義はシンプルだと思います。
ゲームが始まるとプレイヤーは勝手に進む乗物に閉じ込められ運ばれます。これによってプレイヤーはどこに行けばいいのだとかどう操作するのかみたいにもたつきがちなゲームの最序盤をスムーズに進めて、見て、聞いて、知ることに集中することができます。
カットシーンの代わりになっているような場合が多いです。大前提でなにを表現したいかでどちらを選べばいいか変わりはしますがカットシーンを使ってしまうと(主に三人称のカットの場合)誰かがやって来たという印象になりやすく、1人称のまま進めばどこかにやって来たという感覚が先に来るはずです。能動的に選択や行動に至れるにようになる動機付けの手始めとして自分の視点のままその世界を理解していくことができるのは一人称視点のゲームにとって重要なことだと思います。

「Bioshock Infinite」シリーズ三作目にあたる作品。1,2は廃れてひとけのない海底都市が舞台だったが打って変わって明るく賑やかな空中都市に謎の椅子に括り付けられて飛ばされる。
このゲームで初めて迫られる2択は見世物にされている黒人女性と白人男性のカップルにボールを投げつけろと言われたプレイヤーが司会か彼女らかのどちらに投げるか

一方ディズニーランドでの使われ方は真逆で、アトラクションは映画の追体験とキャラクターを見るという側面が強く、鑑賞者が(アトラクションの元ネタの)主人公になりきってねみたいな意図を感じられるものは滅多にないです。作品の主人公はライド内に友達、ヒーロー、仲間、時に他人として登場して自分はそれを見る別の誰かとして物語に入ることになります。ドラゴンボールのゲームでキャラクリしたアバターが主人公になるような感じです(最近だとスト6とか)。
珍しい例として最初期のカリフォルニアディズニーランドの白雪姫をモチーフにしたライド「Snow White and Her Adventures」では鑑賞者が白雪姫自身というコンセプトで作られていましたが多くの人に伝わらず、アトラクションに白雪姫が出てこない意味が分からないという人が多数だったようです。

自分が白雪姫なので魔女にひたすら付け回される。バージョンによっては魔女の落とすでかい宝石によって殺されて終わったみたいです。

怖すぎるという理由も相まって、このアトラクションのあるファンタジーランドがリニューアルされた時と同時に「Snow White’s Scary Adventures」と名前を変えて白雪姫も登場するバージョンにリニューアルされました。
実際よく知っているキャラクターが自分であると連想するのはなかなか難しいですね。映画では物語を引っ張っていったキャラクターがただ乗物で座ってじっとしているのは面白くはあるけど不自然でもあります。

サンドニへようこそ

最後にRed Dead Redemption 2(以下RDR2)とアメリカンウォーターフロントについてちょっと書いて終わらせます。

ディズニーシーにはアメリカンウォーターフロントという20世紀初頭のニューヨークをモチーフにしたエリアがあります。

アメリカンウォーターフロントのニューヨークを歩くと、建物の壁に掲示された色とりどりのポスターや看板が目に入ります。
「広告は時代を映す」といわれますが、街中のポスターや看板によって紹介される新しい商品、エンターテイメント、サービスからも、大都市ニューヨークの熱気に満ちたエネルギーが伝わってきませんか?

【公式】東京ディズニーリゾート・ブログ

これらの広告は殆どが装飾としての機能しか持っていませんが本当に広告としての役割を果たしているものもありパーク内に広告されている施設が存在していたりします。
例えばこの広告はフレンチカンカンのショーの宣伝広告ですがブロードウェイミュージックシアターというシアタータイプのアトラクションが同じエリアに実際にあります。このショー自体は観れないですがビッグバンドビートというショーが抽選に当たれば観れます。

ブロードウェイミュージックシアターでDANDE DE FOLLIESが観れる

RDR2の舞台も19世紀末20世紀初頭のアメリカでアメリカンウォーターフロントとかなり共通した部分が多くゲーム内でもとりわけ近代化が進んだ都市サンドニ  ※2では同じように広告が張り出されていていくつかがゲーム内でアクティビティとして存在しています。

  ※2サンドニはニューオーリンズをモデルにした架空の都市。ディズニーランドにもニューオーリンズをモデルにしたニューオーリンズスクエアという場所があります。カリブの海賊とかあるとこ                

シアターレルアの舞台に出演するパフォーマー達の広告

RDR2ではサンドニにあるシアターレルアに足を運んでチケットを買うことで実際にこのポスターに書かれた内容と同じショーを観ることができます。
そしてなによりこのシアター自体がごっこ遊びに振り切った仕様になっていて魅力的です。
シアターに入り受付でチケットを買い自分の足で二階か一階席を選択し他のお客さんに混じりながら空いてる席に腰掛け、幕が上がるのを待ってショーを観る。途中で立ち去るのも自由、なんなら壁の端っこで立ち見することもできます。ショーが終わればまばらにお客さんが帰っていくので自分も退出して外へ出る

このショーを観る一連の流れの中でロードが挟まれることもなければ、カットシーンが急に挟まり操作不能になることもありません。画面を覆い隠すUIにどの席にしますか?など聞かれる様なこともなく外を散歩していた時と同じ時間の流れ、プレイフィールのまま、このショーのアクティビティをゲーム内に組み込むことに成功している素晴らしいゲームデザインだと思います。ディズニーランドでは急に立ち見しだしたらたぶん怒られるんですがシアタータイプのアトラクションを鑑賞する流れがゲーム内で再現されている様な感じです。
こういった設計思想は作中ある程度統一されていて意識してプレイすればいくつも見つけることができると思います。興味のある方は是非サンドニへ行きましょう。

おしまい

終わり方分からないので唐突に終わりです。
ラグタイムについても書きたかったのですがどんどんエッセイのタイトルと関係ない方へ進んでいたのでしまったので諦めました。

滅多に文章は書かないので分かりにくいところも多かったと思いますがここまでお付き合いいただきありがとうございます。
ビデオゲームかテーマパークどちらかの領域に興味を持っていた方がもう一方へも関心を抱いていただけたら幸いです。さよなら。



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