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「好き」ではあるけど、「面倒くさい」と感じるもの

洗濯や食器洗いなどをよくする。
好きなことではある。
しないと気分が悪くなるからもある。

取りかかる前は、面倒くさいなぁと思ったりすることもある。でも、とりあえず一緒に洗うものを仕分けて洗濯機にドンっと投入。

その間に乾いた食器を棚にしまい、シンクにたまっている食器を洗う。

コンロまわりやシンク周りを拭きあげ完了。

「ふぅ〜」

自分の意思が隅々まで行き届いてご満悦の表情。

身体が満足感に満ち満ちてくるのを感じる瞬間だ。

尊い。

洗濯は洗うときよりも乾いたものを畳む時にそれは訪れる。綺麗に縁をそろえて重ねてある服やタオルたち。

「よしよし」とうなづく。

畑の草刈りも同じだ。大勢に伸びた草たちを片っ端から刈っていく。やり始める前は面倒くさいなぁと感じるがやり始めてしまえば、没頭していく。

仮払機(草刈機)でドッドッドッとエンジンをうならせ
ガンガン高くなった草を刈っていく。

「よくもこんだけ伸びたもんだ」とかつぶやきながらせっせと。

せっせと刈るよ

そして、刈り終わった畑をみて綺麗になったなぁと達成感をえる。

自分の意志と行動が見事に結果となり現れている。

この草を刈った畑に!

すげー当たり前のことだけど、すごいことだと毎回思う。

「こうしたい」という意志が行動を通して「こうなったよ」という状態をみることができる。

果樹農家って毎回その繰り返しだ。

『面倒くさいところに宝がある』
とは、映画監督の宮崎駿さんの言葉。

たしかにそれはある。畑に関してはまさにある。
「好き」ではあるけど、「面倒くさい」のである。

やりたいんだけど、、、なかなか腰が重くて行動に出ない、

でも、やろう!と決めてやる。

この腰の重さをもう少しでいいから軽くしたいなぁとか思う今日この頃です。



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