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自分が「自分らしい」と望んだカタチで

子どもが生まれてから
早8年。
早寝早起き。
早朝に起きて、
独り居る時間が
とてもとても大切になってて。

家族、仕事、社会に
様子を伺う、
合わせた思考と行動をしなくても
かまわない時間。

noteを書いたり、
誰にも見せない
本物のノートに書いたり。

絵を描いたり、
レコーディング作業。

夏なんかは
暗いうちに海まで行って、
ウクレレを弾いたりします。


これが、何か、誰からの頼まれごと、
「仕事」として
意義を持ち始めると、
「昼」の時間にも
作業できる意義、
個人的感覚かもしれないけど
「権威」を帯びます。

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今は、こうして
noteを書いています。

「大学ノート」ではなく、
今日はnoteにしてみたのは、
少し、誰かと共有したい想いがあるから。

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僕はずっと、
小学生の記憶の頃からずっと、
「言いたいことがまとまらず、
何が言いたのか伝わらない」

こんな人だと言われ、
思い込み、
社会的に
そんなポジション、
立ち位置で存在し、
それを利用したり、
障害になったりしてきた。

伝えたい「想い」が
「うまく言えた!」って
自分で思えたときほど
周囲の反応は
「?」
となる。

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「わかってもらいたい」

この羨望があると、
とても生きにくい。

その場に合わせた
受け身の存在として
そこに居ると、
まぁ「自分」が保たれる。

「本当の僕は
こんなやつじゃないんだ」
なんて主張は
自分の中だけで
保っていればいい。

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「何が言いたのか伝わらない」僕は、
「詩」という
社会である程度認知されている
「名詞」を知ることが出来た。

文体も、
言いたいことも
まとめなくてもかまわない。

「詩」なる名詞を手に入れた。

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「おまえ、いつも
何が言いたいんだか
全然わかんねーんだよ」

「言いたいこと
もっと簡潔にまとめてから
話せよ」

大人になりずいぶん経った僕に、
最近、
あまり直接、
こんな失礼なことを
言われることは無くなった。

僕も
求められたときに
求められたことだけを言う。

そんなたしなみも
身についてきた。

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でも、
そこでは
何も生まれていない
と感じる。

いや・・・

むしろ
社会的な変動は
世に合わせた時の方が
興りやすいのかもしれない。

でも、
「そこじゃない!」
と心で小さく叫ぶ声がする。

何かが引き裂かれるかんじがする。

幸か不幸か、
そこまで自分を分けることが出来ず。
なので、
そこまで「求められた自分」を
演じることに
忙しくならない人生を送ることが出来た。

「仕事」の少ない人生を送ってきた。

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「大人」な年齢になった僕に、
そこまで失礼な言葉を当てないかわりに

「詩人だよね〜」
とか、
「サカナくんらしいね」
とか、
「サカナ節、炸裂だなぁ」
などと、

ひとつのカテゴリとして、
認識して、
彼らのフォルダに
収めてもらっている。

お互い僕ら
大人になったよね。

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LGBTQ、マイノリティ、多様性・・・

社会も大人になったように感じる。

「差別は良くない」
「人間には人権がある」
と、声を上げ、
自ら創り出してきた
人類の、先人たちのボディブローが
ようやく効いてきたのかな(笑)。

でも、
構造は変わってないのかな?

新しく、胸に、頭に収めるための
「フォルダ」「くくり」「カテゴリ」
「名詞」を手に入れた。

だけ。

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僕らの「想い」は
「構造」ではない。

それを「言葉」の羅列で
理を解こうなんて、
どんなに漢文を分解して、
歴史を探究しても、
「構造理解」に繋がるだけで、
「想い」は分かり合えない。

きっと、分かれていないんだろうな。

Don't think. Feel !

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今、こうして
誰かに読んでもらえるかもしれない、
わかってもらえるかもしれない
Massage in a bottle を
noteという海に投げ入れます。

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最近、noteのおかげで、
こんな、まとまらない長文に
「スキ」とか
ボタンを押してくれる人が、
少しでも居ってくれるおかげで、

現実世界にも変化が起きています。

いつもは口をつぐんでいた発言を
機会があれば、
この、まとまらない言語のまま
喋ることに
躊躇がなくなった。

いや、
まとまっているんですよ!

でも、
光には、必ず影があるから。

光だけ話して、
影が無いのって
変じゃないですか?

だから
noteの「おかげ」と言ったけど、
noteの「せい」とも
言えるかもしれない。

住み慣れた世界が
崩れてきている。

「?」って思われる社会へは
行かない。

居ないようにする。

居ることになる機会でも
「詩人」で居るようにする。
(本当は「詩人」という括りも
適切じゃないんだよ)

「わかってもらおう」

期待はしていない。

「わかってもらおう」

わかってもらいたいなら、
先ずは自分自身が、
この身を使って、
「わかってもらうべきカタチ」で
在るべきだ。

すると、
世は、
そういう存在として
認識してくれる。

「理解」はされないかもしれない。

自分が「自分らしい」と
望んだカタチで
存在できていれば。

望んだカタチで
存在出来る時間が
増えればいいんじゃないかな?

実社会は
他者との共存で在るわけだから
「簡潔に述べる」べき場面が多い。

そこは「詩人」っぽく
簡潔に述べていくよ。

期待はしていない。

「自分が変われば世界が変わる」
ってやつだ。(笑)

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望んだ「自分自身」を
ハッキリさせる機会を持とう。

自ずを分けるクリッピングポイントなんて
いくらでも変えることが出来るから。

「ここからここまでが
僕の望んだ『自分自身』ですよ〜」って。

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大きく、
壮大にまとまっている(拡がっている?)
「無限の響き」からやってきました「僕」です。


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ストリーミングサイトは本日解禁!↓

でも、まだ全部とはつながってないみたい。
僕がいつも使っているspotifyから
まだ聴けないみたい。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。