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変容する世界、社会、流れを感じる。「私」で感じる。

自分の意識の変容なのか、
生まれ育った時代のタイミングと
環境のせいか、
はたまた、国家や体制の揺らぎなのか、

最近はやはり
「お金」について
よく考える。

「お金が欲しい」
「お金が必要」
「お金が足りない」
と、
当たり前に使ってきた意識。

「お金があれば安心」
「お金を回して、
継続的に発展することが出来る」

・・・「出来た」なのかもしれない。

「いいこと」だと思っていても、
「必要なこと」、「大切なこと」
だったとしても、
お金にならなければ、
ちゃんとお金を回せなければ、
その、例えば「事業」を
継続、発展させることは出来ない。

ちゃんと「収支」を考えなければ
それを継続することが出来ない。

そう信じ込んできた。

いや、じっさいそうだろう・・
と今でも思っている僕もいます。

でも、
今の日本の状況のせいなのだろうか、
おかげなのだろうか?

お金が無くても
継続できる関係性
」を
築いていく必要を
感じる。

お金の影響を受けず、
生まれて生きる人生が、
自由で、素晴らしく在ってほしい。

インパクトの大きなお金の約束、
「借金」や「破産」で
命を落としたり、病んだり、
隷属することがないように。

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「お金の約束」を
うまく活用することにより、
僕らはこうして発展(と呼ばれること)
をしてきたのだろう。
星の数ほどの命も落としながら。

分業が進み、
生産性が向上し、
破壊兵器の威力も増し、
「黒人奴隷」から「賃金労働者」へ
約束事を変え、
日本も西欧の圧倒的な
「お金の約束」で築かれた軍事力の差に
巻き込まれずにはいられなかった。

明治維新、日露戦争、太平洋戦争。

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そんなことがあってから、
今はさらに80年経とうとしている。

視点をぐーっとズームインして
「自分」から眺める。

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「コロナのせいで」と言った方が
世間との共感は得られやすいだろうけど、
その前の秋に、消費税が10%に上がり、
おそらくそのインパクトが影響して、
今まで出来ていた仕事が来なくなった。

まぁ、細々と収益を得られて格好がついていた
「ウクレレワークショップ」なんだけどね。
予約0がチラホラ出て、
コロナ禍に入り、
場所として借りていた喫茶店などの
「お店」の存亡すらも
大変な時代に突入した。

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僕らはやり方を考えた。

収益を出せる方法を考えた。

新しい方法を考えた。

インターネットを活用することを考えた。

補助金を申請した。

収益を得られる方法を考えた・・・。

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以前、今までやってきたことは
何だったんだろう?

新しい時代となり、
要らなくなってしまったものなのか?

それはまぁ、そうだとしても、
僕らは、
お金になるか、ならないかだけで、
生きてきたのだろうか?

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昨日、今住んでいる地元の
「盆踊り保存会(仮)」の会合に参加してきた。

地元の伝統文化を残したい。

人を集めるためにも、
若い世代に来てもらうためにも、
いろいろやはり、
予算が必要で、
補助金の獲得が大きな鍵となる。

当たり前か・・・

利益をちゃんと出して、
自立出来ないような自治体は
消えて無くなっても
いいんだろうか?

補助金に頼らなくては
継続できない事業・・・。
そして、その充てがわれた補助金で
どこの誰に、どのような経費として
支払われるのか?

その経費を「収益」として得た
業者や事業主は、
どのようにお金を回す「消費者」へと
変貌するのか?

今、世の中で、
「お金」が
どう活用されているのかを
じーっと考えているのです。

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やはり今は、
どこかでお金を得られなければ、
何もできない世の中なのでしょう。

電気、ガス、家賃、固定資産税、、、
(今住んでいる家は、借家ですが家賃ゼロです。
空き家を見つけ、修繕して住んで7年になります。
ちゃんとした契約は交わしていません。
遠くに住み、帰ることのできない大家さんは
住んでくれていることを、とても喜んでくれています。
「家賃」とは「当たり前」のことではなかった。
と知らしめてくれています。有り難いことです)
インターネットを活用するにしても、
回線の使用料や、デバイスを購入して
持たなければ、
こんな「世界とのコミュニケーション」には
参加できないんだから。

大元はどこにあるんだろう?

誰がお金を請求してくるんだろう?

油田が、ウランが、土地が、技術の発明が、
お金を請求してくるのですか?

そこに値段を付け、
「価値」を操作する人がいるはずです。

それを受け入れ、
翻弄されるしか、
僕らの生きる道は無いのか?

いや、

いきいきと生きれてるなら好い。

そんな彼らのおかげで、
僕らの暮らしが
生き生きと生きれてるなら、
お金をコントロールする、
お金持ち様万々歳だ。

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「生き生きと生きている」
これを模索しながら、
人類は歴史を積み重ねてきた
のだと想う。

そして変容させてきたのだと想う。

神、宗教、技術、倫理、意識、哲学、科学、
数学、物理学、量子力学、
福祉、サービス、経済、人権・・・

全ての在り方を問うて、
考え、行動する、
「実在」の僕らがいて、
そんな「僕」の背後に
何かがいる。

それは
「真理」だとか、
「神」だとか、
「ワンネス」だとか、
いろんな名前をつけて呼ぶけれど、
僕ら「命」が此処に在るから、
その淵の向こうには行けない。

行けない「向こう」が
在るんだな。

そんな「彼の地」を
此処に召喚しようと、
僕らは「命」を使って、
がんばって、
やっとここまで来れたようにも
想える。

この「先」が在ることに、
「未来」が在ることに
間違いはないから。

今、こうして
恥ずかしながら、
世界の片隅で生きる「民」
のひとりですが、
「今の想い」を
綴っておきます。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。