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友達に会いに行くよ

たしか2002年から2008年くらい、
ハタチから25歳くらいの時に
出来てしまった唄です。

友達に会いに行くよ
これから友達に会いにくんだよ
独りぼっちじゃないよ
僕にも友達いるんだよ

電車に差し込む日差しも
イチャつくカップルも
楽しげな家族連れも
調子良さそなバンドマン達も
優しい気分、眺めだよ
何しろ僕、これから!

友達に会いに行くよ
これから友達に会いに行くんだよ
独りぼっちじゃないよ
僕にも友達いるんだぞ!

待っててくれるかな
待っててくれるかな?
待っててくれるかなぁ?
待っててくれるかな・・・

友達に会いに行くよ by 平魚泳

痛い本音を痛く唄う。

こんな詩を描いてしまった。
どうしよう…
出来てしまったなら
歌うしかない。

この詩が生き生きするアレンジは何だろう?

アカペラしかないよね…

しかもかなりアブなく、
ダサく、痛々しい方がいい。

友達、いなそうな感じ。
妄想強いかんじ。

LIVEのステージなんていう、
用意された場所より、
突然、街中で歌い出しちゃったりしたら
痛快だ(爆)。

そんな自爆テロを準備するような興奮が、
出来た時によぎった。

爆弾作っちゃった!
作ったんだから爆発させたいよね…
みたいな。

でも、
僕は、
そこまで病めなかったし、
キレてもいなかった。

高円寺界隈の
アングラな、
キワモノ表現が求められる場所で、
1〜2回歌っただけだ。

居場所が・・・あったのかな?

20年以上経った今でも、
いつでも忘れずに憶えていて、
口ずさんでは
いつも苦笑いしている。

こんな「僕」だったな…。
こんな「僕」なんだな…。

友達を求めていた。
もっと本音いえば、
恋人がいる状態を求めていた。

そして、
けっこう人気があって、
いろんな「幸せの象徴」を
求めていた。

渇いた「僕」が、
喉が焼けるように、
孤独に唄う。

恥ずかしい…
でもだからこそ、
やってやりたい!

そして、
「この葛藤から
何を生み出すことが出来ると
思ってるんだ?」

という自問の末、
ひきだしにしまいました。

20年経った今、
変わり果てた千葉の街に立つ。

あの葛藤の日々は何だったんだろう?

賑やかだった街は消え、
静かな老人達が
阿蘇山に点在する牛のように
歩いている。

若い人は少なく、
僕も若くなくなってる。

公園にたむろする若者も少なく、
異国の人たちがたむろし、
何より象徴的なのが、

「調子良さそうなバンドマン」
が居ない。

僕は、
ホコ天、イカ天とかの
「バンドブーム」という作られた
ブームの消費者、中高生で、
そんな兄さん達に憧れる青少年だった。

青田買い、有象無象、
魑魅魍魎が跋扈する
ブームの終わり頃、
僕は高卒、学生を終え、
街、社会に出た。

街には、
ギターを持った若者がたくさんいた。
ライブハウスがあった。
リハーサルスタジオがあった。
駅前でオザキ、長渕を歌ってる人がいた。

みんな「ここから何かが始まる」感があった。

そんな活気に馴染めない僕がいた。

**********

あの頃の現状認識は
こんな感じ。

別に「あの頃は好かった」とは
言わない。

しんどかった。

たからここ数年の
「人とは距離を起きましょう」という
号令や、「ぼっち」とかいう
名詞が開発されたりして、
やっと俺の時代が来た!
やっと俺の声が届いた!
独りじゃなかったんだ!
僕だけが居心地
悪かったわけじゃないんだ!
…という感想もある。

しかし、
自由な人権に、
指図される言われはない。

しかし…
みんな素直に言うこと聞くんだね〜
やんちゃで怖そうな人達も、
みんな行儀よくマスクしてる風景を見て、
「怖くない」
っていうか、
みんな「そっち側に養われているんだな…」
と、これはこれで寂しく、
虚しくなりました。

そんな経緯で、
事あるごとに忘れなかった
「友達に会いに行くよ」を、
生まれ育った千葉に帰った日、
住宅地の合間に出来た公園で、
独り、カメラを立てて歌いました。

記憶の記録です。

午後の静かな住宅街。
閑散としてはいても、
時々、人が通り過ぎ、
恥ずかしいかぎり(笑)。

最初はウクレレを静かに奏で、
弾き語りの唄を歌い、
「音楽の練習をしてます」
という、社会から合意を得られそうな
アピールをして、
満を持して、
カメラを立てて歌いました。

恥ずかしかった〜

「よしOK!」とか
独り言を言って、
荷物を持って、
電車に乗りました。

あの頃の「今」は
過去となり、
あの「過去の日々」を
今、想い出す。

そして
「今の僕」が、
彼を抱きしめ、
点と点の先へ
未来へ!

イマココに居ます。

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