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不幸せを辿って、幸せに触れる。

なるべく
幸せな方がいいし、
うまくいっている方がいい。

でも、
どうしても
うまくいってないし、
幸せになれない。

ならばその
ネガティブな感じを
思いっきり素直に
感じてみよう。

そう、
今はそっちの方が
現実的に感じるのなら
そうしてみるといい。

これが手に入ってないから
幸せに思えないんだぁ〜

じゃあ、
それが手に入ったら、
幸せになれるね。

そう!
その幸せってどんな感じ?

不幸せを辿って、
幸せに触れる。

その「不」を
取り除くだけ。

求める何かが
手に入っていなくても、
求める「何か」は
僕特有のアイデンティティ。

末那識で触れる。

阿頼耶識から見ている僕は
「僕ら」であり、
「世界」であり、
「神」、彼(か)の身。

「僕」を介さずとも
存在する世界、現象、総てが
実は阿頼耶識そのものなんじゃないかと…

想ったのは誰だ?

僕だ。

僕は

誰だ?

************

「末那識」「阿頼耶識」の解釈が
間違っていたらごめんなさい。

1年ずっと、ウクレレと一緒に持ち歩いている
「唯識の思想」、

まだ半分しか読めてません。

読んでいて、
ちょっと感じ入ると、
すぐ本を閉じて、
自分の感じに入ってしまうんだよなぁ。

量をこなし、
たくさんの情報を得て、
知見を拡げる読書とは
目的が根本違うのかな?

本をたくさん読みたいとは
想いつつ、
読むのが遅いと嘆きつつ、
僕は僕の感じで触れて
生きている。

「アナスタシア」も
好きな本、大切な本なんだけど、
何巻かで、
文章力が乏しい
著者のメグレさんが、
アナスタシアに
「どんな本を読めばいい?」
って聞いたら、
「そんなにたくさん、
誰かの書いた本を読む必要はない」
森や、空や、自然を見て、
たくさんの言語を習得出来る。
読む本は自然の中に溢れてる。

1を見て、総てを知る。

そっち、採用します!

と想いました。

そんなね〜
アナスタシアみたいに
育ちが良くないから、
なかなかフィルター多くて
馬鹿ですけど、
そんな末那識とおして
生きてる僕です。

さぁ…
いつまで「僕」生きるかねぇ?



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