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右手と左手で何が出来るだろう

様々な支払いのために
10万円をおろす。

収入はないけど支出がある。
様々な請求が来る。

「正当」と思われている請求が来る。

自動販売機で缶コーヒーを買う。

昨日は奥さんと(僕は久しぶりだった)
友人の営む喫茶店に珈琲を飲みに行った。

請求された通りの金額を支払った。

手放した所有が
誰かの所得となり、
僕らの暮らしは巡っている。

僕も何か、
正当性のある請求を考えなければ!
請求しなければ
誰も支払ってはくれない。

請求されたら
やっぱり支払わなければ
「巡り」が滞ってしまう。

noteに時間を費やしても、
請求はしにくい。
請求して相当の文章を書かなければ
誰も支払ってはくれないだろうし。

音楽に時間を費やしても、
請求はしにくい。
これはたぶん、
挫折に挫折の経験を積み重ねた
僕が獲得した
個人的な現実だろう。

思い込みを外し、
「稼げる人」へと
変貌すべきだろうか?

僕がたくさん所得を得れば、
誰かは所得を失うでしょう。

その金額相当の
価値を与えられるだろうか?

僕はいつも、
請求された相当の価値を
受け取っているだろうか?

缶コーヒーで、
110円相当の価値を頂いている。

それはいいんだ。

ただ、
失った110円を
僕もどこかから調達して、
所有を確保しないと、
これ以上の請求を応えられなくなる。

何か、
今の社会では、
請求を興さないと
支払いが出来なくなる。

請求すれば支払ってもらえるだけの、
社会との関係を構築しなければ
生きていけない構図。

収支の無いところで、
社会は動かない社会。

収支の興らないことは、
好きにやればいいけど、
請求されたら応えナケレバ。

請求に応えられる支払いが出来ないなら、
請求する金額相当のサービスは
受けられない。

「歩きなさい」

「道」の所々に請求があるならば、
そこを避けて歩きなさい。

いつか会えるよ。
同じ拳を
握りしめて立つ人と
きっと会えるよ。

その時 僕たちは
何が出来るだろう?
右手と左手で
何が出来るだろう?

けっきょく、
中学生の時に出逢った
ブルーハーツの詩が出る。

僕は彼らに
いくらくらい支払ったのかな…


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