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出来ることをする。

初めて、
千葉へ実家の空き家の掃除プラス
いつもの西千葉の「平凡」さんでLIVEさせてもらう
プラスで、
もう一本、LIVEをした。
成田空港の敷地に囲まれつつも
買収されなかった土地
「木の根ペンション」でライブさせてもらった。

初日の千葉公園でのツイキャスLIVE、

その後の千葉駅での
ノーコミュニケーションで終わった路上LIVE。

翌日は朝からゴミ出し、草刈り。
そしてちょっと熱中症…。

before
after

いろんな刺激があった。
人と会ったり、
状況と出会ったり。

平凡さんには、
ネットで存在を見つけてくれた人が、
めったに来ないホームページから
メールしてくれて、
当日、足を運んでくれた。

翌日は成田空港の敷地に囲まれつつも、
立ち退かなかった私有地「木の根ペンション」。

どちらも関係者含め、
お客さんは5人前後といったところ。

ツイキャスLIVEも
いつもそんなところだ。

落胆ではない。
そして、
人数が集まらなくても、
落胆しない場を創っていけたらと思う。

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出来ることなら、
聴いてくれない酔っぱらいや、
自意識が大きく、
札束で頬を叩くような人や、
(イマドキこんな人はいないか(笑))
ダメ出し、説教するような人は

お引き取り願いたい。

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じっさい、
人の集まる場を創ると、
いろんな人が現れる。

都合のよい人ばかりではない。

…僕は、
僕の都合のよい場に
常に居たいと想っている。

僕にとって
都合のよい人が
いつも近くにいると嬉しい。

僕の話を聞いてくれ、
呼応するように、
僕に興味ある意識を投げかけてくれる。

楽しいひととき。

そんな幸せな「僕」でいられるなら、
きっと一緒にいるその人も

幸せに違いない。

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「みんな」という曖昧な対象で語りたくはない。
僕は、僕の視点からでしか語れない。

僕が、「僕」を軸に、
心地好く在れる処に居れば、もしくは
足を運べばよいのである。

また、望ましかったり、望ましくなかろうとも、
そこで、出来る最適な、
振る舞いをすればよいのである。

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「僕」にとって都合の悪い人は、
ただ、眺めることにする。

「この人は、
そんな風に世界を捉えてるんだな…」

そして僕にとって
この人は不快に感じるんだなぁ

この人は
僕にとっては要らないな。

この人が要らない、というより、
この人の、そんなアイデンティティは
僕にとっては要らないものだ。

そこには寄せない。
好みの自分でいる。

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社会の基準に
抑圧されずに
波にのまれて溺れないように。

場合によっては
浅瀬でチャプチャプでも
かまわない。

ピックウェーブに挑戦して、
飲み込まれて溺れても、
立ち直れる気概と若さがあるのなら、
やってみてもいいかもしれない。

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有り難いことに
有り難いひとつの道を
この個体を使って生きてきた。

僕が独りで、「独りぼっち」で、
触れて、感じて、
描いてみた世界を唄って、
響き合ってくれる人がいる。

この現実が
僕を大いに励ましてくれる。

こういった「己を知る」ことを
「成功体験」と呼ぶのなら、
この現実は
そんな運ばれてきた命の
結果だから、
やっぱり励み、受け入れ、
覚悟、成就となる。

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「一人でじゃない」というアルバムを
001〜3年にかけて
独りで作った。


スタジオでも宅レコでもなく、
田んぼや、河原に行ってマイク立てて
MDに録音して。

この世界観は
2024年の今でも変わらない。

「誰か」みたいにはなれない。
「何か」みたいにはなれない。

幸い、こんな年齢を重ねた「僕」になって、
表に現すスキルは身につけた。

だからといって
大衆ウケするために
ここを変えても意味がない。

何らかの「基準」
に合わせても意味がない。

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表現することが出来る。
表に現すことが出来る。

表に現しづらかった障害を
出来るだけ外していく。
そこを身につけた技術や、
振る舞いでこなしていく。

これが僕の出来ること。

どんなに頑張っても、
移ろう空ろな「大衆ウケ」なんて
全く期待するもんではない、と。

その都度、現れる障害みたいなものに、
かる〜く触れては、
空いている道を歩んで行きます。

僕は「僕」と一緒にね♪

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また9月頃、
草刈りとライブをさせてもらいに
千葉へ帰ろうと
思っています。

日程、これから考えます!

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。