見出し画像

生かしてくれている存在

お金がないと生きていけない。

何らかのやり方で
お金を得られる方法を
身につけないと、
今の社会では生きていけない。

なぜなら
生きていく
あらゆる箇所で
お金を請求されるから。

お金を請求されるから
お金を請求する。

だから、どうにかして
お金を請求しやすい方法で
お金を手に入れる。

「この請求には
お金を支払うのは当然だよね」

そんな立場をめぐって
開発、開拓、
熾烈な争いを行う。

お金が入ってくる流れを
身に付けた人の勝ちだ。

**************

「お金にならないことは
意味がない」

と、
こんな社会の倫理とルールは
物語っている。

今はお金に
ならないかもしれないけど
いつかは必ずお金に繋がるんだ。

そのくらいの
希望がある仕事でないと
続けることができない。

いつまでたっても
お金を得られないことに
労力を注いでいたら
支払うべきお金が
無くなってしまうので、
その行為でのマネタイズが
無理だとしたら、
何らか別の方法で
マネタイズして、
マネタイズの仕方に労力を注ぎ、
その後、
その「お金を得られないやりたいこと」
に、労力を注がなくてはならない。

そうすると必然的に、
お金にならないことへ
リソースを割くことは
困難になってしまう。

だから、
何とかして
その「やりたいこと」で
マネタイズしなければ
それを続けられなくなってしまう。

で、
結局、
そもそもの「やりたいこと」より
「マネタイズ」が
優先されてしまう。

だから
「プレイヤー」より
「プロデューサー」の方が
儲かる。

独立して
個人でやるにしても、
その「プレイ」の内容を
いかに「プロデュース」するか
このスキルに尽きてくる。

***********

お金になることに
注力を注ぎ、
お金にならないことは
次第にやめていくことになる。

田んぼも畑も
皆、やめていく。

音楽への情熱も
お金に結局左右される。

バッハの時代の音楽家の生き方。
モーツァルトの時代の
音楽家の生き方。
ベートーベンの時代の
音楽家の生き方。

誰に支持をされて
音楽を発表するか。

時代によって
生き方が変わってくる。

***********

こうして時代背景の変化で考えると
今「お金」と言っているものの
本当の実態が見えてくる。

「権力」だよね。

それで「権力」とは何か
と言えば、
「生かしてくれている存在」が
「権力」なのかもしれない。

キリスト教が生かしてくれた。

王族貴族が生かしてくれた。

資金を持つ民衆が生かしてくれた・・・。


民衆?
いや、ここらへんからなんだろうね。
「お金」=「権力」になったのは。

「自由」=
お金を手にすれば
誰でも権力を握れる。

お金が「信用」の架け橋となる時代。

その架け橋を
どこに建設するかの利権を巡って
時代が、社会が、人の命が
動くようになる。

***********

僕らは
その架けられた橋を利用する
ただの通行人だ。

架け橋の位置が変わり、
「便利になったよね」とか、
「不便になったよね」とか言って、
その橋を利用するために
生活様式を変えていく。

その大きな架け橋を
利用しつつ、
僕ら庶民は
それぞれ個人的に
小さな架け橋で交流する。

************

でも、
わざわざ
その橋を利用することばかり
考えなくてもいいんじゃないか?

足元には土が在り、
見上げれば青い空が在る。

それらを眺め、
感じる心が、
今、ここにいる「自分」に
在る。

社会は変容するでしょう。
でも
その「変容する社会」を
眺める瞳を持つ僕は
常にいつも一緒に此処にいる。

そしていつでも身近に
触れられる「人」「もの」が在って、
伝って、総てと繋がっている。

「お金がないと生きていけない」
なんていう現実も、
僕が巨大な建造物「橋の架かった社会」
を瞳に映して圧倒されただけで、
世界は広いから(笑)

くるっと向きを変えれば
歩める道は無限だ。

「僕」は「ひとり」で
有限だ。

どこまで歩けるか
わかんないけど、
行けるところまで行ってみよう。

そして「僕」で触れる
感覚を味わっていこう。

ころころとすげ替えられる
「橋」なんて
渡らなくてもいいよ。

大きな力に
殺されないでいたいな。

でも、
大きな力の流れの中で
生きて、生かされ、
命を終えて、
また次の命が・・・

これも自然な流れなのかもしれない。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。