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「やりたいことが分からない」①

先日、「なおゆきくん」の

CDを買って、聴いていてくれている方から
「素晴らしいです」
との感想のメッセージをいただき、
嬉しくもあり、
もどかしさもあり。

その方は
現在高2の息子さんがいて、
高1の冬頃から、
なんか息切れしたのか
学校も行けないし、
「課題」も
出来なくなってしまったそうです。

「やりたいことが分からない」と、
言っているそう・・・。

買ってくれたのは「お母さん」で、
この「大丈夫 ここで待ってるよ」が

息子の気持ちである。と想像され、
「彼になんとか聴いてもらえる方法はないもんか・・」と。

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そうなんですよね。
僕も同じ気持ちです。

そんな彼や彼女、かつての「僕」
に、届けたい。

届ける想いで創りました。

かつての「僕ら」とは
今の親世代の「僕ら」
で、
そんな彼らに届けることですらも
なかなか五里霧中な最中ですが、

さらに息子の世代、
10代、20代の「今」を生きる彼らへ
届けるとなると・・・

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「教育関係」的な立場を得て
届けようとしたって、届かないだろうし、
親が勧めたって、
「余計なお世話」になるだろうし・・・。

若い人たちに、
同じ立場の「少年」の気持ちとして
届くことを望み、
そして、詩の後半、
歳を重ねた僕が、
かつての威圧されてきた「大人の社会」で
「大丈夫」と確信を創り、踊る。
生き生きと生きる。

そんな姿を届けたい。

ガチガチに固められ、
今では亀裂の入った枠組みから
「外」に世界が広がっていることを
伝えたい。

それは必ず
いつでもどこでも
「自分」の「内」から
辿れる旅であることを
伝えたい。

「そこで踊ろう」って。

「踊って、歌おう」って。

「外」へ行くためには
「内」へ行くんだ!

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いただいたメッセージへの返信を
プライバシーには配慮しながら、
書いた内容は、
多くの人へ向けての想いだったので、
ここに、同じ文章を
置こうと思います。↓

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感想とメッセージ、ありがとうございます。
本当に、
そういう子たちに届けられるご縁があればな・・・
と想っています。
「教育」とか、「大人」の立場からじゃなくてね。
おっさんおばさんの僕らの世代から
賛辞をいただけたとしても
彼ら、当人にはなかなか届かない。

角度を変えて
ある意味、僕らが若く生きた頃の
時代のノスタルジックな情景として
懐メロ的に支持された方が 幸せかなぁ?
とも想っています。

くだらない時代だったと想います。
くだらない悩みで 時間、時代をすり減らしてきたと
想います。
もう人類、先へ進んでほしいと願います。

ただの墓標、記念碑として、
この詩が遺ってくれたらな。

でも、 変わっていないんですよね。
社会は破綻してきてるのに
ずっと同じ概念に縛られて。

ま、その「概念」で思考するから
「破綻」と呼ばれるってこと
なのでしょうけど。

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「大丈夫 ここで待ってるよ」は
陳腐にも思える言葉の「単語」を 羅列しています。

「進路希望」「成績」「受験会場」「科目」「受験」・・・
これらの言葉には
現代人が、
現代人だけが、
勝手に言葉の価値を拡大させて
ブランド化させたプロパガンダが多用されています。

人類の発展に 「勉強」が必要だ。
と気づいた、一部の人たちが
「知」を特権階級の占有物としました。
そして、時代は「マネー」に
価値が置かれるようになり
「価値」を見合った金額で
取引き出来るようになりました。

そんな強固な力を持ってしまった
「知」の権威の言葉たち。
「進路希望」「成績」「受験会場」「科目」「受験」・・・

そして、

「言葉」が現実を創り、
現実に圧倒されてしまう
ということに於いては
「やりたいこと」という、
近年多用される言葉も 同じだと気づきました。

つづく



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