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お正月の静けさ

ここら周辺、
絶対、誰ひとりいないだろう。

といった感じの
冬枯れた薮に入り込み、
結構な大声で
ノリノリなテンポの曲を中心に
ツイキャスLIVEをやった。

ずっと30分、
誰も視聴者がいなかった。

何で僕はこれを
「やらなきゃいけないこと」と
課してやっているのか?

確かめながら歌った。

こんな場所が僕は好きだった。
ずっと好きだった。

*******

思春期に入るあたりから
独りで遠くまで行くことが
楽しみになった。

自転車でどこまで行けるのか。

知らない場所に辿り着いて、
僕はその時の気持ちをどうしようか・・・。

まだわからなかったけど、
詩をノートに書くようになってから
書けば、描けば
何か理由がつくんじゃないかと
思った。

家を出て、
19~20代の間、
正月に実家に帰ると、
昼間、一日中
自転車を漕いで、
佐倉とか、印旛沼の方とか、
遠くまで自転車を走らせていた。

ウォークマンで
仲井戸麗市の「絵」を聴きながら
一日中、自転車を漕いでいた。

90年代、
毎日、工場の音と
排気ガスと、
人とモノが賑わう街で、
唯一、正月だけが
まるで異次元空間に迷い込んだみたいな
静けさを帯びた
特別な一日だった。

20代も、横浜、東京の繁華街で暮らし、
賑わいに疲れては
よく、多摩川の河川敷に
身を隠しに行っていた。

正月、生まれ育った実家に帰り、
安心な両親のもとに帰り、
独り、昼間、
自転車を漕ぐのが楽しみだった。

********

誰も視聴者のいないライブ配信を終え、
(最後に一人、馴染みの人が人が聴きに来てくれた。
嬉しかった。でも、馴染みの方が5人くらいしかいなくて
その数人の注意に依存するのもちょっと考えものだね)

歩くことにした。

最近、運動不足だったので、
ネットで見た
「インターバル速歩」と呼ばれる
ウォーキングを始めた。

ただ、1日15分、
力一杯速歩で歩くと
身体にいいよ。
っていうだけらしいので
気軽だ。

そして、最近は
散歩すらもしていない毎日に
気が付いた。

「何か」をしないと、
「何か」を得ないと、
時間を無駄に使わないようにしないと。

意義のあるインプットと、
何かと繋がるかもしれない
期待を込めてのアウトプット。

大した責を負った毎日では
ないのだが、
わざわざ散歩する時間を
創ることをしなかった。

車では行けない小径を歩く。

歩くと遠いだろうと思っていた距離も
意外と近いことに気付く。

この小径は
どこに続いているんだろう?

どんどん道が細くなる。

行き止まりかな?

道はないけど
薮を突っ切ろう。

雲の切れ間から
夕陽がさす。

ひと気はまるでない。

こんな時間が好きだった。

こんな世界が好きだった。

*********

コロナの政策やら
高齢化、人口減少。
インターネットの普及で
賑わいが3次元的に起こらなくなった。
不景気、田舎へ移住したこと。

いろんな要因で、
あの頃は「特別」だった
正月の雰囲気が、
毎日のように味わえるようになった。

僕は
本当は何を望んでいるんだろう?

「独り」だと
寂しいよね?

でも、

「独り」で味わう現実って
好きだよね?

賑やかな時代が
過ぎて行くように感じる。

だんだんと
年老いて、
みんなと別れ、
独り、静かな世界を味わうのも
悪くないな。

と、想った。

いやいや、
多くの人に慕われて、
心地好い人達と
共に過ごせる老後がいいよね。

でも、
それはプロパガンダかな?

あの正月の雰囲気を求めている僕に、
「人気者になること」を求めるのは
ちょっと違うかもしれないね。

でも
やっぱり音楽は
誰かに届ける気持ちで演りたいな…

悩ましいね。

*******

元気な日本を取り戻そう。

景気を良くしよう。

って、
あの頃の
元気な日本に
居心地を見出せなかった僕は、
「あの頃」に戻りたいとは
思わない。

まぁ、
そうはならないだろうね。

でも、
どうなんだろうね?

いろんな人の
いろんな願いが
叶う世の中になればとは願うよ。

昨日とはちょっと違う今日があって、
今日とはちょっと違う明日がある。

それだけ。

味わっていこう。

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