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忘れらんねえよ

2023年、
一番、Spotifyで
聴きまくった
音楽のアーティスト。

アルバムや音楽をCDで
買って聴かなくなって、
実質、音楽を聴かなくなった僕。

ストリーミングでも、
歴史のポッドキャストとかの
話を聴いて、
新しい視点の世界観に
魅了される昨今だった。

それでも、
春先にじわじわと聴いていて
2013年も暮れる頃、
またあらためて
「忘れらんねえよ」を聴いて、
とても
僕の人生に染み入る匂いを
また感じた。

彼の音楽が
僕の経験になっていた。

*******

知ったのは、
ふと、
韓国の「ひきこもり」の事情が気になって
ググっていた時、
「ひきこもりと音楽」みたいな
トピックが気になって
読んだサイトに
「踊れひきこもり」という
YouTubeが紹介されていたのがきっかけ。

街に流れるJ-POP風の「翼を広げて I love you」
的な楽曲を曲中に挟み込んで、
それを一番キモいところで
ぶち壊す感じのセンスが
心地好かった。

才能無くて、モテなくて
キモヲタ、ストーカー的な
冴えない男の視点を
いつも嫉妬深い本音を並べて歌っている。

でも、
歌唱力もバンドのサウンドも秀逸!

でも、
ずっとブレイク寸前と
日本のメジャーなロックコミュニティ界隈で
言われたまま、
ブレイクはしてないらしい。

だから僕は知らなかった。

すぐ隣の友達のように聴いていた。

ネットで検索して、
結局は彼のスター性が眩しくなって、
嫉妬してしまうのも怖かった。

だから、しばらくは
「忘れらんねえよ」で
検索はしなかった。

ただ、イヤホンから流れる音楽と、
僕から見える情景を
抱きしめていた。

*******

2017年発表の
「僕にできることはないかな」
というアルバムが、
とても好い。

それまでの作品は、
PUNKサウンドに
「どうせ俺はキモいよ。
アイツはモテるよな。
俺はモテないよ」
と、冴えない自分のことを
吐露して、
エネルギーに変えていたように
感じる。

「僕にできることはないかな」では、
とうとう、
そんな「僕」みたいな
「彼」や「彼女」に向けて、
君は美しい。
と言って、
励ましたいから、
僕はがんばる!

という視点で歌っている曲が多く、
グッとくる。

きっとご本人が
歳を重ね、童貞であろうと、
大人の視点を手に入れたから。

そして、
日本の時代が、僕が、
多くの人が、
冴えない人生に
なってしまった人の多い現実を
引き受けようとしてるのかな?

なんて想ったりもした。

今、このnoteを書く
原動力となった曲が
「いいひとどまり」
という曲。

僕が君のそばにいたい。
けど、僕は冴えない男だから
無理だよね。
という一見、
いつもの卑屈なエネルギーに感じる。

でも、
彼女は「僕」みたいに
人生に絶望している。

君は美しい。
と言いたい。

言って、
励ませるような自分になりたい。

せっかく
スピード感のあるバンドサウンドで、
かっこよく歌っているのに
「励ましたいのに
僕じゃダメだ」なんて
呪いの言葉を
使っちゃダメだよ。
と、

先輩の僕(平魚)は
空を仰いだ。

(僕もかつて
自分の劣情を吐露して叫んで
それを歌うエネルギーにしてた。
でも、
「だめだだめだ」と歌っていたら
どんどんダメになることに氣がついた。
反吐が出そうになる
「夢を叶えよう」とか
「世界で一番キミを愛してる」とか
苦い薬を飲むように
口にしてみると、
「夢が叶う」方向へ人生は
進んでいくもんだ。
と、人生の半ばで気がついた。
今は、それを踏まえて
自分の納得のさじ加減で歌ってます。)

でも、
曲の後半に、
「君を励ますために
僕は強くなる!」
と言い放ったのだ!

そして、
「なんにもない
とか言わないで」
と、
共に見つけようと、
手を取ろうとしている。

*******

独りよがりであろうとも
唄えば、必ず
自分の人生に響き、
そんな自分の人生と響き合う世界
だけが、現れるはずだ。

*******

「僕が見てるから
何もないはずがない
いつか見つけてよ
小さな風に微笑むチカラを」

平魚が10代の後半に親友に向けて作った詩

なんて感じの詩を
僕は18歳の
高校出たての、
社会に出たての頃に、
時代の混沌の最中、
当時の風俗街を解体しようとしている世情の
千葉の栄町の
縁あって定期的に歌わせてもらったBARで
僕より順調に進学したように見えた親友が、
すっげぇ落ち込んでいて、
見るに見かねて創った。

僕もダサダサの小僧で、
彼もやっぱり
進学して、彼女いて、
セックスして、
車を持っていたけど、
お互いに小僧だったんだな。

彼が、ダサい僕のLIVEに
来てくれて、
拙いボキャブラリーの
こんな詩を歌って、
たしか、彼は、
泣きながら
店を出ていったと記憶している。

20代の後半に
津田沼駅で
僕がタイコを叩いて歌っていたら、
家庭を持って、
大手の子会社の
ブラック企業で働いていて、
残業帰りの彼と
バッタリ会って、
少しお酒を飲んだ。

また、
それ以来会っていない。

今、会おうと思ったら
会えるのかな…

わかんない。

*******

「なんにもないとか言わないで」

そんな言葉を選ぶ詩に
数十年ぶりに出会った。

本当に
儚く、移ろう世を
今、僕らは生きていると思います。

でも、
儚くも
確かな存在が今、ここに在る。

崩れそうなカタチの存在が在って、
そっと手を添えようとする
「自分」という存在がある。

彼が歌っている。
僕も歌っている。

確かな「僕」という存在が、
世界を認知している。

僕も「忘れらんねえよ」くらい
誰かに密かに認知してもらえていたら
嬉しいけど、
それは僕に
どうこう出来ることじゃないからな。

創り、アウトプット
し続けるだけだな。

********

ニューアルバムに
「月の影」
という曲があります。

今日の文章に相応しいから
マガジンのリンク貼っときます。
買ってくれたら嬉しいけど、
1/14からは
spotifyとかのストリーミングでも
聴けるようになると思います。

あと数百年経てば
僕ら跡形も無くて
静かに照らす
誰かの月の影

月の影・平魚泳

ここの最後の詩が
とても好きです。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。