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想うチカラ

僕一人の存在が
大きなひとつの存在の
響きの倍音の一部、
波紋のひとかけらであると
考える。

いや、
実際そうなのだと
信じられる?

ならば僕は
何かひとつの大きな流れに
合わせるべき存在なのか?

それとも
大きな響きを率いる存在なのか?

消えるまで
響きはチカラを持ち続けてる。

流れる大きなひとつの現実の
ほんの些細な現実としてでも
影響を与える
舵取りを担っている。

成果は僕らみたいな
響きの一端を担うだけの
生きてる存在ごときに

わかるわけがない。

最初に戻るけど、
僕に、あなたに、
チカラが在るのか無いのかなんて

あるにきまってんじゃん!

全体に
どんな大きさの影響与えるかなんて
わかるわけないけど、
どんな影響を与えるべき人間なのかは
自分の素直な心を探せば見つかるんじゃないかな?

ずっと
おかしいな?
よくわからないな?
と思ってきたことは、

次第に明らかになってきてる。
よく解らなかった常識は
きっと誰も解っていなかったのか
誰かが隠していたんだね。

僕の素直な想いと
響き合わせてみたら
ここが「今」だ!

現実は変わる。
常識は変わる。

「今」という
ひとつの大きな響きも
「歴史」という
もっと大きな
ひとつの響きの
一部でしかなかったんだ。

繰り返される歴史もある。
新しい現象に拠って
転換する歴史もある。

でも今、
今までの流れを知ることができる
誰もが知ることが出来るという時代は
未だかつて無かったように思う。

力にチカラがあり「力」と名付けられた。
力にとても価値があり、
力でチカラを得ることを追い求めた時代があった
(らしい)。

力の破壊力に恐怖を感じて、
個人個人の命を想うことへの価値が芽生えた。

まだ芽生えただけだ。

それから「知」に価値が置かれるようになった。
筋力に力を与えつつ、
大きく力を動かすのは
「知力」であると考え始められた。

そして庶民は
「与えられたもの」を知り始めた。

誰が与えたものなのか?

自分の頭で考える。

さらに頭上でかむかえる。
彼(か)を迎える
神(か)を迎える

胸に何かの「想い」が生まれる。

想いの通りに成るように
努めて暮せば
そう成るという時代に
これから入ってゆくように
感じます。

先人たちが命と共に
学んできた「価値」の灯火を
もっともっと健やかな未来のために
繋いでいこうと思います。

「想うチカラ」
心に生まれた素直な想いと共に
生きることが、
力となり、
知ることとなり、
おおきな「ひとつ」と
共に生きることと成る。

そんなことに気付き始めた僕らは
一体何処へ行くんだろうね♪

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。