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言葉・看板・タイトル・諸行無常

自転車を漕いで、テントと楽器を積んで
旅をしていた時のこと。

東京のアパートを引き払い、
西へ西へ。
鹿児島まで行ったんだけど、
やっぱり一番きつい坂は
伊豆を越えるところだった。

いろいろ、友達のつながるご縁で
箱根は越えずに、
伊豆の海岸線を漕いで、
下田まで。
そして半島を廻って、
けっきょくは沼津に出るためには
越えなきゃならない峠道、
「修善寺」と呼ばれる
どこかで聞いたことのある場所だった。

*************

下田の寂れた街から、
修善寺の峠に差し掛かるところまでは
けっこうなだらかな道で
ほとんど看板も、信号も、
人も車もまばらな
のどかな旅だった。

城址だったのか、
わからないけど
人気のない丘の上に
テントを貼って寝た夜に
外に獣の気配がして怖かったこともあった。

砂浜でゆで卵を食べて、
卵の殻を砂に埋めていたら、
「今、ゴミを地面に埋めたでしょ?
そいうのっていけないんだよ」
って、
都会から車でビューっと
デートでやってきて
ちょっと仲よくなった
カップルの、女性の方から
たしなめられたのは
とても不快だった。

バナナの皮とか、
卵の殻とか、
確かにその土地の物ではないけど、
すぐに地球に還るからいいじゃん。
と僕は想う。

そんな、「人」と接すると
感じる違和感の予兆を感じながら、
数日かけて
伊豆の穏やかな旅を終え、
修善寺の峠道に差しかかった。

きつい坂道を上る。

だんだん上の方まで来ると、
チラホラと
いろんな看板が見えてきた。

・・・この「主張」の嵐が
嫌だったんだな。

*************

それまでの伊豆の道は、
看板や文字が
少なかったように感じた。

○○するなら○○!

○○と言えば○○!

そんな単純化されて
人目を引くための主張、
タイトルが
僕の気分を萎えさせた。

あ〜僕もまたここから
「自分は○○です!」って
主張しなくちゃ生きていけない世界に
また足を踏み込むんだな。

「自分はミュージシャンです!」
「自分は旅人です!」

*************

「言葉」を用いている以上、
これらは便利なツールで、
毒にも薬にもなる。

病名を付けて、
自分がどんな症状なのか
その病名の一言で
把握することが出来る。

でも、
実はその症状は
絶対一人ひとり違うし、
症状だって日々、移り変わる。

「症状固定症候群」と
名前を付ければ把握しやすくなるかね(笑)

その病名に縛られて、
逆にその病み(闇)から
抜け出せなくなってしまう。
そんな可能性もあるのが「言葉」だ。

*************

「ここは天下の修善寺です!」
と、
主張している、
久しぶりの街へ着いた。

観光地らしく、
いろんな看板が
観光客を誘っている。

「知らねーよ」と独り言ちながら
その間をすり抜けて、
峠を下り、沼津の街へ。

18歳の時に
縁あってアルバイトした
「海の家」のあった
砂浜を探す。

千本ナントカって浜が有名だったな。

そこじゃないよな。

御用邸の近くだったような・・・

あ〜「名前」が思い出せない!

やっと見つけた
思い出の砂浜は
波に削られ、
ほとんどなくなっていた。


諸行無常です。

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名前を付けても、
名前、看板だけが残り、
想念だけが残ったままの
寂れた街を
近年よく見かけます。

僕は・・・
嫌いではない。

失って
現れる
見えていたものが
あらわになって
浮かんで
あらわれて
流れて消えた

みんな嘘だったように
みんな夢だったように

在る

天から見れば・平魚泳

それを
見ている人は誰?

それを
感じている人は誰?

それを
知っている人は誰?

***************

「看板」
「タイトル」を付けて、
注意を引きつけ、
いかに注目してもらい、
何らかの利益を出すために、
僕らは日々の時間を費やしているけど、

まぁ、
その「利益」も
流動的で変化し続けるものだから
いいのか・・・

「強者どもの夢の跡」を眺めながら
「諸行無常」という言葉を感じ、
ようやく自分自身の足音に氣付く。

この足音が
自分自身の生きてる証。

これを誰が知っている?

僕の命よ
導いておくれ

トレインソング・平魚泳


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