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必要とされなくても必要なこと

とある、
綺麗な音のする楽器の奏者の方の
レコーディングを手伝っています。

MIX&マスタリング作業。
何が正解かは決まっていない作業。
まだまだ、学ぶことは数あれど、
長年かけて
学んだことも数知れず。

正解は
無いんだな・・・

さんざん「正解」のプレッシャーに
圧倒されながら、
無駄な労力を注いできたように
感じ、そして気付いたことが、
1番の学びでしょうか?

*************

未だ、
音楽家している友人知人と話すと、
「CDを作る」
「CDを売る」
という言葉が飛び交います。

インターネットで無料で、
多様な音楽が聴けて、
CDを再生する機器を
持つ人も少なくなってきている。

僕も
先日、唯一CDを聴ける車の再生機器に
CDが飲み込まれ、
取り出せなくなってしまったけど、
「ま、いいか」と、
直すことに労力注ぐより、
放置して、spotifyで聴こ。
となってしまいました。

*************

それでも
「CDを作りたい」
という人がいる。

もちろん、僕らも
時代錯誤じゃないので、
「今、CDの時代ではない」
というのは
わかっているとは想います。

でも売って、お金を得て
活動の糧としたい。
少しでも、
(作者、奏者に)価値を持って
聴いてもらいたい。
支持者、支援者を増やしたい。

結局、
少しでも多くの人に
聴いてもらいたい。

という、
丁寧で包括的なモチベーションが、
この
「CD作品を創る」という行為に
向かうのではないかと
想います。

*************

「CDは売れない」
という時代の流れに
どこか安心している僕がいる。

「CDが売れた」
という、
周囲の音楽家の声に、
嫉妬、悔しさ、不安を
ずっと感じてきた。

たぶん、
やり方次第で
今もCDは売れるのでしょう。

売れることを望み、
売れる方法を考え、
その人その人に合った
売り方があるのでしょう。

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僕は、
この方のCDは
売れると思っています。

まず、
この楽器が珍しく、
ひとつ、音を鳴らしただけで、
多くの人が
魅了されてしまうであろうこと。

適切なタイミングで
適切なコミュニケーションで
適切な場所で、
この楽器の音を鳴らせば、
きっと、
この楽器の音を持ち帰りたくなり、
 CDは
その時売れると想います。

*************

僕は?
といえば、
てんで売れる氣がしない。

今まで売れてこなかった
挫折感が、未だに・・・。

リアクションを
期待して注ぐ労力。

ライブ後の物販席で、
身の置き場に迷いながら、
サインしながら会話を交わす、
となりのアーティストさんを見ながら、
誰にも見られていないのに
愛想笑いを作り続ける・・・。


もう嫌なんです。

売れない、ウケない、要らない前提で
受け入れられる自分で
振る舞った方が、
僕はもう、全然楽です。

売れなくても、
ウケなくても、
必要とされなくても、

僕が、
僕自身が必要なことをする!

売れない、ウケない、
必要とされていないのに、
ずっとやり続けてきた
僕が必要なことをする。

そんな長年の道のりで、
身につけた「技術」が
必要とされるときもあったりして、
それはそれで、
仕事させてもらいますよ。

こんな誰からも必要とされていなかった僕が、
誰かから必要とされるなんて、
喜ばしい限りじゃないですか?

でも、
あの頃の「僕」は
必要とされていなかった。

僕はそれが必要だったから、
それをずっとやってきた。

だからこれからも
僕は
僕が必要とすることを
やっていく。

或るタイミングで必要とされたとしても、
いつまでそんな「僕」に
ニーズがあるのか
今までの経験の蓄積もあってか
信頼できないよね。

頼るもんでもないと思っている。

どこかで最近聞いた
「人の幸せ」ってやつは、
自分の大切にしていることをして、
世の中もそれを受け入れてくれて、
居場所を見出したときだ。

なんて・・・。
「マズローの欲求」というやつだっけな?

3、4、5の
所属と愛情欲求、
自尊欲求、
自己実現欲求を
ウロウロしているような文章だな、僕。

*************

若い頃、
何もできなかった僕が、
いろいろなことを出来るようになっています。

意外なことに、出来る僕に
「すごいね」と、
賞賛の声が上がります。

「うちの店も掃除してくれないかな?」

「うちの畑の草も刈ってくれないかな?」

「こんど、レコーディングの仕事、
手伝ってくれないかな?」

3番目の声が、
微妙に、自尊心を
満たしてくれそうだけど、
じつは3つの声の
どれもが同じだと
感じるように
なってしまいました。

どんなに、誰もに、
その技術や体力や素質を
賞賛されても、
求められても、
渇望されても、
これらの技術を身につけたのは
何のためだったのか?

それを自身に問うのです。

多くの身近な音楽家の友達が、
それぞれのやり方で
それなりに成功を収めているように
感じさせられる時もあります。

でも自分が、
僕がその彼、彼女と
同じようなことをして生きたいのか?
と想うと違うのです。

そんなにそっちの方が
好いと想うなら、
その楽器を学んで、
その人で感じた、
僕の「成功イメージ」に
突き進めば良いと想う。

でもやらない。

僕は
馬頭琴も弾かないし、
ピアノも弾かないし、
津軽三味線も弾かないし、
ハンドパンも弾かないし、
尺八も極める氣にはならないし。

ウクレレ奏者と謳って、
ウクレレもけっこう上手になったし、
インスト作品の方が、
ワールドワイドにも、
人々の求めるツールとしてのニーズとしても、
「癒し」を求める人に対しても、
コミュニティ的にも、
コミュニケーション的にも、
好い運びになるんじゃないかとも
想ってるんだけど、

「詩」を用いた表現を
先に成就させなければ
なかなか先へは進めない。

進む氣にならない。

*************

2023年、
6曲のアルバムを2つ、
完成させたいと想っていた。

10曲は、もうすでに録り終えていて、
最初の6曲のアルバムの中の1曲、
パンクな感じの8ビートが欲しくて、
ドラムを、日々、隙間時間で練習していたら、
もう盆が過ぎてしまった。

あとの6曲は、
年内の秋から冬にかけての季節に
発表したいと想っている。

ほとんどの曲が、
もうyoutubeに上げるまで完成している。
あとは6曲通しての音圧を整える
マスタリング作業を
あらためて行うだけだ。

*************

しかし、
なかなか奮い立たない・・・。

CD作っても売れないし、
もう、お金じゃない!
と振り切っても、
2022年からストリーミング配信した
12曲の総再生数は504。
ダウンロードは1回されて、
僕が手にしている売り上げは684円。

人生をかけてやろう。

今、この出来る時にやろう。

そう自分に言い聞かせる。

*************

求められようが、
求められまいが
やる。

でも、
そのやりたい表現に
世の中からの追い風が吹けば、
ずいぶん前に進めるだろう。

そんな人生も
あるのかも知れないが、
ずっと、
1段ギアで、向かい風、上り坂を
漕いできたような感覚がある。

今、どんな風が吹いていて、
今後、どんな風が吹こうとも、
歩みを続けなきゃな・・・
と想う。

*************

頼まれたこと、
求めに応じる時、
俊敏に、力一杯
動くのだが、
ふと、
自分の「やろう!」ということに
力が入らない。

そんな早朝の目覚めだったので、
陰にも陽にも
力が入る、
noteに注いで、
今日からまた、
人生を
歩んでいきたいと想いました。

7:30。

子供たちが
起きた気配がする。

「みてみて」
「きてきて」
「あそぼ」

これも、
今だけだと想うと、
愛しくて、
大切に時を過ごしたいと(も)
想う。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。