名詞化「唯名論」について
「こういう現象を〇〇と言います」
「こういった考え方は〇〇と呼ばれています」
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「名詞化」。
まるでその事象が
あたかも最初から在るように。
世の中に既存のものとして
存在しているかのように。
「あ〜それは『〇〇虫』が原因だね」
「その『ド』と『レ』の音がぶつかっているんじゃないのかな?」
「死因は何でしょうか?」「『コロナ』です」
『高齢化』「白痴化』『年金問題』
何でもいいんだけど、
おそらくどこの国の言語でも
言語を扱う民族は
何にでも『名』を付けると思います。
賢くもあり、
賢そうでもある。
要は
その『名詞化」に
自覚的であるかないかの
問題ではないかと。
あと、「〜的」ってのも
けっこう自覚的に使っています。
「口癖だなぁ〜
クドいなぁ〜」
などとも思いつつ。
です(笑)。
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名前を付けると、
いろんな意味を
その名詞に
ギュッと詰め込めるんですよね。
zipファイルみたいに。
あ、圧縮しなくてもいいから
「フォルダ」ですね♪
ファイルをまとめてフォルダでまとめて、
そのフォルダ群をまたひとつのフォルダにまとめて。
・・・で、
このフォルダの中身ってなんだっけ?
みたいなのが
この世の言葉には溢れています。
『第二次世界大戦』とか言ったら、
日本フォルダもあり、アメリカフォルダもあり、
ドイツフォルダもあり、ガンジーフォルダもあり・・・。
だから僕はしょっちゅう
その名詞の本来の意味を考えます。
先日書いた『ファイナンス』も然り。
『自由』自ず、由する。
『い』の響き。
『ち』の意味。
『forgetting』と『forgiving』。
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いやぁ〜
いろいろ書いてますね僕(笑)。
昨日のイベントを終えて、
ふにゃふにゃな僕に
いろんな思索が入ってきて、
しかも一人で縁側で
飯なんか食っちゃってるもんで。
やばい!
洗濯物を干していない。
14時になってしまう。