「私が」就活面接を怖い理由を考えてみる

 どうも。焼肉食べ放題にきてメロンソーダとソフトクリームを頼み擬似メロンフロートを作り楽しむ天才、ひらりんです!

 最近の記事をご覧の方はお分かりかもしれませんが、私は自称面接恐怖症(就活恐怖症?)です。どうしてかを考えてみると、多分自分がしてきたことで納得のいったものがあまりないからじゃないかって。

 入試だとか、サークル活動だとか上手くいったと自他ともに認められそうなことはあっても、それは「なんとなく」の結果です。別にそれを目指して頑張ってきた訳ではありません。
 今まで採用担当の方の話を聞いてきた限りでは、求職者の覚悟や再現性は採用基準として優先度が高いものなのではないかと思います。
 それを考えると、なんと私の市場価値の低いことか。

  ダメだったらいいやと思って始めたり、始めたところで一部の条件が悪ければそれをネックにしてやめたり。覚悟なんてありゃあせんのです。
 結果が出たことにも再現性なんてありません。あえて言うなら入試においては過去問を解いて、解けなかったところを復習みたいなのはありますけどそんなの当たり前のことだと思いますし。
 解けなかったところをそのままにしたり、わからないことがあるのは気持ち悪いです。そこに関しては一貫しているのかも……?でも大学出てるような人ってみんなそんなもんじゃないのだろうか。

 今まで何かを目指して頑張ってそれが成し遂げられた記憶もあまりないから覚悟を問われても、できないと思う気持ちの方が強いし、責任を取るなんて言うことの方が無責任な気がしてきてしまいます。

  それとまた別方向の考え方として、勉強不足も私を面接恐怖症足らしめる理由の一つです。受ける会社のことも、業界のことも調べても調べてもわからないことが出てきて、時間や情報が見つかりづらいなどの都合で結局わからないことが多いまま面接を迎えてしまいます。
 そのわからないところを突かれたらどうしようと思うと恐怖に包まれてしまいます。それは妄想に過ぎないわけではなく、実際にわからないことを聞かれて苦しかった思い出もあります。企業の方からは笑われたし、当然のように落ちました。今でも思い出せるくらいに辛いです。
 でも、それは企業の方が悪いのではなく、知っているべきことを知らなかった私が悪いと思うのです。その会社を受けるのであれば知っているべき情報を知らない勉強不足なのですから。
 実際の業務のことを考えても、知らないことにより業務で致命的なミスをしてしまう可能性を鑑みると、私のような人を雇うべきではないと思ってしまいます。

 私自身が自分の価値を認められていないし、企業の人はもっと良い人を雇えるだろうと思うことから、やはり私は面接に参加する意義がわからなくなってきます。
 私を採用しようとする時間がもったいないし、実際に採用してしまうのももったいないし。だったら私は就職すべきではないとすら思えてきます。

 なんて、ネガティブでいてもしょうがないんですけどね。生きるのには働くしかないし。でも、こうやって消極的な気持ちで働くのもまたどうかと思います。頭を使って働きたい気はするから、アルバイトだと役不足を感じてしまいそうだけれども。
 そろそろ預金が危なくなってきたのもあり、今年4月からは何らかの職に就いていたいと少しは思うようになってきましたが、将来がすごく不安なひらりんでした。

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