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ピンチを救ったヒーローのおはなし(The hero was a casual and compassionate person)

保育園児の時に秋になるとお遊戯会がある。みんなでお遊戯会の練習をしていたときのこと。

お腹が「ぎゅうーーーう ぐるぐるる」 ほんの少しプーっとオナラが鳴った。ちょっとおならがなったとおもって一息ついた時、ヒヤッとお尻が冷たい。あれ?なんか嫌な予感。。。みんなに気づかれないようにそおっとトイレ駆け込んだ。

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トイレに座ってみたら、べったりうんちが。おしりも汚れた。その時間はどのクラスも外に出ることがなくトイレにポツンと一人。

もう立てないから どうにも動けないから 誰にも言えないから 汚いから 悲しい 嫌だ いじめられる お部屋に戻れない ままー お姉ちゃん せんせい 誰も来ない ずっとこのまま えーんえーん ずっとこのまま 怖いよう えーん 助けてください(声には出せず、心の中で叫んだ)永遠とこのままのような気がして時間がどれぐらいたったかのか 地獄 だれにも届かない 頭がぼーっとしてきた 頭がいたい 泣き疲れた 眠い えーん


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「ひらりちゃーーー---ん、」あ、せんせいの声

「ひらりちゃん、あら大変ね、新しいパンツを持ってくるわね。」しばらくして、せんせいが戻ってきて「ひらりちゃんのパンツなかったから、お姉ちゃんのところから持ってきたよこれ借りとこうね」せんせいはうんちがついたパンツをバケツに入れてトイレの手洗い場でゴシゴシ洗った なにもなかったように 先ほどの一人で想像した地獄時間が嘘だったかのように だれにもこの現状を知られることも 見られることもなく せんせいの手でみるみる無かったことになっていく 

そのきたないパンツ手洗い場で直接あらうの せんせいは嫌じゃないの 怒らないの せんせい、パンツ汚いのにごめんなさい 嫌な顔一つしないでなにもなかったかのように 新しい、暖かいパンツ持ってきてくれてありがとう そのあとなにもなかったようにみんなのなかに戻っていって 

なにもなかったようだった 嫌な思い出ではなくて 新しくてふわふわのパンツがここちよかったこと トイレに来る前よりも とても温かい気持ちになってお部屋にもどったこと お姉ちゃんのパンツがあってよかったこと ままがいつもパンツをいれてくれてたこと せんせいは特別なひとではなかったけど おこったことはいちどもなくて 少しの間いたせんせい いまもおもうよ ありがとう


あとがき

先生の名前は覚えていないけど、この思い出はずっと鮮明に覚えていてずっとありがとうって言いたいと思っていました。このnoteをみてくれることはないかもしれないけど。先生がしてくれたことを思い返せば返すほど、人のもつ”おもいやり”について感じ直し、ありがとうって感謝が溢れてくる。これは小さい子供だからこその地獄であるし、4さいか5さいのときの、ちょうどパンツ履いてまだおねしょ繰り返してく頃の、もう二度とおねしょしたくないって思っているときの、子供なりの恥ずかしさや悲しい思いが芽生えて成長しているときに起きた、気が抜けた瞬間のうんこ漏らし。大人の私たちで考えてもどれだけの冷や汗もんでしょうか。ある意味、心臓に毛が生えた人とか、なんでもふざけちゃう人ならわからない、苦しみがすでに4歳でもわかるのです。小さながら、人の思いやりと 家族への感謝と いつもいつのまにかいてくれるせんせいたちにありがとうと想うと温かくなったのを思い出すのです。

30代のころ、両親を本当に思いやることができていないのに気づいていた

介護が必要になるとき、老人ホームに入れることになるのだろうとか、仕方がないことなのだろうと思ったこともあった。でも正直なところ、両親との会話、家族の会話がバラバラで意思疎通しなかったことも問題だった。私はみんなが好きだった。でも、パパとはいつも喧嘩になった。別に喧嘩したいわけじゃないのに。だから長い間まともな会話はできていなかった。思いやるってどうやってか、わからなくなっていた。今38。わかるようになれたし、私は介護することになっても自分の両親を愛おしく想える。笑顔が絶えないだろう。この先生がそうしてくれたから。


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