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「少し生きやすくなった」話

自分が大っ嫌いだった

でも今は
少し自分を受け入れられるようになってから
呼吸をする事も生きる事もなんだか軽くなった

多分親撮影の3歳なりたての「自分」

幼い頃は大抵の子供と同じで自分が好きだった気がするけど
気が付いたら

かけっこでいつも置いて行かれて
親の苦労をみて来て
よく分からない嫌われ方をして
いじめられて
友達を巻き込まれて
一部の大人に振り回されて

いろんなことの積み重ねで
自分への「嫌い」も積み重なっていた


周囲の人には恵まれていたから
自分を好いていてくれる大人や友達・先輩後輩もいたけど
正直「意味が分からない」と思っていた

だから
いつ嫌われても・いつ裏切られても
自分の心を守れるように
1つの事(あるいは1人)を
「二割信じて二割は疑って、後は無関心」でいた

六割無関心でいたら
「まあ どうとも思っていなかったから大丈夫」と思えるから
(最初から疑って物事と付き合うのは疲れるからそこは二割だけ)


おそらく
今もそれから完全に脱したわけではなくて
どこかその「二信二疑」は自分の中にいると思う

でも
それでさえも
自分を「嫌い」な理由にしなくていいんだよねきっと


自分が経験から編み出した大事な護身術だから

6年ちょっと前  写真を撮っている方撮影の「自分」(自分を少しは好きになれるかなと思ってお願いした)

自分は今
ゆっくりのんびり
自分へ積み重なった「嫌い」を
消化している途中

それが出来るようになったのは
「許せるようになった」事と「正直に話せる場がある」事が
1番の理由だと思う

完璧な人間にはなれないだろうと理解していても
どうしても「出来なかった・失敗した」事に目がいってしまう

でも
存在しなかった「完璧なその瞬間」は“無い”

代わりに「出来たこと」と「次に出来るようにしたいこと」と向き合うと
意外と  自分頑張ってるかも! って思えるんじゃないかな

あなたも
誰かを許すのと同じように
完璧じゃない、頑張っている自分を許して
褒めてくださいね

きっとあなたの声を聞いてくれる人がいるから
それも周りを少し見渡してみてください

意外と世界は優しかったりします


それではまた
おやすみなさい
いい夜を

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