![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122250189/rectangle_large_type_2_3237c348384ecd91c17435e0962572ac.png?width=1200)
「少し生きやすくなった」話
自分が大っ嫌いだった
でも今は
少し自分を受け入れられるようになってから
呼吸をする事も生きる事もなんだか軽くなった
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122250590/picture_pc_2dbdffd177ebd5ceca4bdb60d4865beb.jpg?width=1200)
幼い頃は大抵の子供と同じで自分が好きだった気がするけど
気が付いたら
かけっこでいつも置いて行かれて
親の苦労をみて来て
よく分からない嫌われ方をして
いじめられて
友達を巻き込まれて
一部の大人に振り回されて
いろんなことの積み重ねで
自分への「嫌い」も積み重なっていた
周囲の人には恵まれていたから
自分を好いていてくれる大人や友達・先輩後輩もいたけど
正直「意味が分からない」と思っていた
だから
いつ嫌われても・いつ裏切られても
自分の心を守れるように
1つの事(あるいは1人)を
「二割信じて二割は疑って、後は無関心」でいた
六割無関心でいたら
「まあ どうとも思っていなかったから大丈夫」と思えるから
(最初から疑って物事と付き合うのは疲れるからそこは二割だけ)
おそらく
今もそれから完全に脱したわけではなくて
どこかその「二信二疑」は自分の中にいると思う
でも
それでさえも
自分を「嫌い」な理由にしなくていいんだよねきっと
自分が経験から編み出した大事な護身術だから
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122253351/picture_pc_66c8142fa1c3d928ee55ea4ebaee9954.png?width=1200)
自分は今
ゆっくりのんびり
自分へ積み重なった「嫌い」を
消化している途中
それが出来るようになったのは
「許せるようになった」事と「正直に話せる場がある」事が
1番の理由だと思う
完璧な人間にはなれないだろうと理解していても
どうしても「出来なかった・失敗した」事に目がいってしまう
でも
存在しなかった「完璧なその瞬間」は“無い”
代わりに「出来たこと」と「次に出来るようにしたいこと」と向き合うと
意外と 自分頑張ってるかも! って思えるんじゃないかな
あなたも
誰かを許すのと同じように
完璧じゃない、頑張っている自分を許して
褒めてくださいね
きっとあなたの声を聞いてくれる人がいるから
それも周りを少し見渡してみてください
意外と世界は優しかったりします
それではまた
おやすみなさい
いい夜を
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?