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哀しきお笑い芸人

 つい最近、ある人のnoteの記事を読んで非常に共感した部分がある。

 それは芸人仲間のウエストランド井口さんによるこちらの記事である。

 まあ同じ芸人なので共感するのは当たり前と思うかも知れないが、記事の中の「芸人は自分のピンチを言わない」という部分に関して、僕もかなり以前からもどかしさというかジレンマを感じていたところではあるので、これを機に少々補足してみようと思う。

 そもそも現代における世間からの芸人(というか売れてない芸人)に対するイメージというのは、おそらく「苦労している」というイメージが強いのではないかと思う。
 それはおそらく情報化社会により昔に比べて表現者の裏(プライベート)の部分が垣間見れる機会が多くなったことや、売れた芸人が過去のこととして苦労していた時代のことをテレビで話したり、メディアがそういった芸人の苦労をテーマとして取り上げる機会がそれなりに多いことなどが原因と思われる。

 しかし当の芸人はというと、あくまで見えている所ではその苦労を一切感じさせないようにバカに振る舞う。

 そりゃ当然である。芸人としてはお客さんに余計なことは考えさせずに笑ってもらいたいのだ。そこにシリアスな背景が垣間見えてしまうと、それは笑いにとって障害となってしまう。M1などで出番前にその芸人の裏の苦労を流すことでお客さんの気持ちも重くなり笑いにくくなってしまっているのがいい例だと思う。

 楽しそうな飲み会の写真をSNSに上げたとしても、実際そこで話している内容は9割方現状に対する不満や将来への不安だったりする(勿論楽しい飲み会もあるけど)。

 つまり売れてない芸人が見えていない所で様々な苦悩を抱えているのは紛れもない事実だが、それは笑いの邪魔になるので皆なるべく表には出したくないのだ。
 なので実はこの記事を書くことも正直悩んだ。自分を含めた全芸人の営業妨害になってしまう恐れがあったからだ。井口さんの記事にしてもたまたま共感を覚えた記事だったから取り上げさせてもらったわけだが、笑いという意味では彼が普段上げている漫才台本の方が確実に面白いし、皆にはそっちにこそ注目してもらいたい。

 ならばなぜあえてこの記事を書くことに踏み出したのかというと、一つは芸人が苦労しているという事実は上で書いたように既に世間で認識されてしまっていることであり、それでも今のお客さんは舞台の芸人を見ている時は裏での苦労を忘れて笑ってくれるだけの柔軟性を持ち合わせているということ。

 そしてもう一つは上で書いた「ジレンマ」という言葉に繋がってくる。


 まずエンターテインメントの世界には様々なジャンルが存在する。そしてその中で各表現者に対してファンがついているものだが、ファンというものは当然のことながらその表現者を「応援したい」と思っている人達である。そして「応援したい」と思われるタイプというのはどんな人なのかというと、一概に言えることではないが「ストーリーがある」というのが重要なことであるように思う。

 何か大きな目標を掲げ、それに向かって汗水流し努力し、挫折を味わいながらもそれを乗り越え目標に達し、そしてまた次の目標を掲げ歩きだす。そんなドラマ性すら感じるストーリーに人は心惹かれ、「応援したい!」という気持ちになるのだと思う。

 しかしそれにはどうしたってシリアスな要素がつきものである。グループであればメンバーの脱退や場合によっては「死」すらも乗り越えなければならない例もある。そういった重い背景があるほど人はより応援しようという気持ちが強くなる。

 しかし芸人の場合はそうはいかない。同じだけの苦労をしていてもそんな重いストーリーを表に出してしまうと「応援したい」とは思ってもらえても確実に笑いの邪魔にはなる。我々はあくまでピエロであり、気軽に見てもらってなんぼの職業。苦労しているという認識を世間から持たれていたとしても自らは表に出さない。井口さんの「芸人は自分のピンチを言わない」というのはこういうことである。

 だからアイドルやミュージシャンに比べて芸人は平均的にファンが少ない。やはりこれはシリアスな要素を表に出すか出さないかの違いが大きいと思う。

 ひとつの演出として、シリアスな思想を表に出すことで本来の実力以上のカリスマ性を感じてもらうことが可能であることもわかってはいる。立川談志師匠はまさに思想全開タイプで、落語の中にまで個人的な思想を混ぜ込むため、お客さんも落語というより談志師匠の思想そのものを聴きに来ているという人が多かったらしい。昨今SNSなどで明確に形に表れているが、「お笑い」に対する需要よりも「思想」に対する需要の方が圧倒的に大きい。つまり談志師匠は思想を表に出すことで元々大してお笑いに興味のなかった層までファンに取り込んだということである。ただ一応言っておくと談志師匠は純粋に落語家としての実力でも間違いなく最強の部類に入る人ではあった。つまり実力だけでも今語り継がれている名人達と同等の評価は得られたはずだが、思想を前面に出すことにより一般層にまで名が知れ渡ったというわけである。
 そう考えると純粋な一表現者としてはもったいないなと思う反面、談志師匠の残した功績の大きさも含めそれもまた一つの戦略としてあることも認めざるを得ない。

 今回取り上げた井口さんの記事が普段の漫才台本よりも反応が多いこともお笑いよりも思想に対する需要が高いことをよく物語っている。彼の実力は僕を含め彼を知る多くの芸人が評価していることからも間違いないのだから。


 では僕自身はどうするべきか。
 そもそもこんなことを書いてしまっていること自体が上で書いた芸人という職業の性質と矛盾するのはわかっている。しかしバカにされ笑われてこそ芸人と思う反面、芸人という職業そのものがアイドルやミュージシャンや役者や画家やスポーツ選手などにも劣らない奥深さがあり、その価値をもっと知ってほしいとも思っている。

 それがつまり「ジレンマ」となっており、結局この記事を書くことに踏み出した理由でもある。多分僕のようなどっちつかずなタイプが一番良くないのだろう。

 画家のルオーは芸人の裏の悲哀を積極的に描いたが、あれは営業妨害であり、偉業でもある。


 最後にもう一つ。


 この記事を読んでくれた人もどうかこれから芸人を同情の眼差しでは見ずに、今まで通り苦労しているとは知りつつもその表現を見ている時は何もかも忘れて純粋に楽しんでほしい。

 何だかんだ言って芸人は強いので大丈夫である。人として足りない部分が多いゆえにガキの頃から否定されまくってきた。しかしだからこそそう簡単には折れることはない。クズで意地汚く、優しい連中ばかりである。


 どのくらいクズで意地汚いかって?


 こんなnote書いて何とかサポートしてくれないかなーって考えてるくらいだよ!


よろしければお願い致します。お気持ち大切に使います。