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大喜利の天才

 さて今回はお笑いの話。皆ご存知大喜利について。


 大喜利というのは不思議なもので、プロの職人芸と見せかけて実は数あるお笑いのジャンルの中でも最も一般の人までがネットなどで手軽に楽しめているジャンルでもある。趣味としてやれるお笑いという意味でとても貴重なものである。

 しかしそれと同時に得意不得意はかなり分かれるジャンルでもあり、ではそもそも大喜利が強い人というのはどんな人で、なぜその人は大喜利が強いのか。今回はそのあたりに焦点を当てて書いてみようと思う。


 まず僕が思うに大喜利が強い人というのはざっと3パターンに分かれると思う。そしてまたそのパターンごとに強さの質も変わるものだとも思っている。


 順に説明していくと、まずパターン1は『根暗な一般人』である。
 大喜利をよくやる人は分かると思うのだが、大喜利の世界で時たまお笑い的な下積みは一切なしで、妙に斬新な角度の発想で攻めてきてウケをさらっていく天才的な一般人を目の当たりにすることがある。
 何故彼らが芸人でもないのにあれほど斬新な発想を持っているのかと言うと、それはまさしく根暗だからに他ならない。僕自身がかつてそうだったから言えることなのだが(一旦「今もそうだろ」は置いときやがれ。それに関しては後程説明すっから)、根暗な人間というものは内向的ゆえ、普段から妄想、空想が趣味であることが多い。そんな人間で尚且つお笑い好きと来れば頭の中は常にオモシロ空想ワールドが全開なわけである。

 つまり彼らは普段から「こう展開したら面白い」という訓練を頭の中で行っているのである。しかもそれはプロのお笑い芸人としてキャリアを積んでいる連中にはない独特の柔軟性がある。教科書を読んでいないがゆえの強みだ。だからこそその頭の中に貯めこんだストックが大喜利に生かせるというわけである。


 続いてパターン2は『技術を持ったプロの芸人』。
 これは根暗な一般人とは逆で、お笑いの教科書を読みこんでいるからこそ身につく技術から来る強さである。まあ実際にはお笑いの教科書なんてないのだが、プロとして経験を積んでいくうちに自然とお笑いの理論や基礎といったことを学んでいくことになるので、そういう意味での教科書ということだ。
 他人と被らないようにだとかMCがツッコミやすいようにだとかバリエーションだとか、様々な種類のお笑いをプロとしての経験に基づいて打ち出すのが彼らの戦い方なので、キャリアが長いほど有利というのもある。

 ところで少し個人的な話をすると、僕はかつて根暗な一般人であった。空想が趣味で頭の中には独自のオモシロ世界を展開しており、その発想を武器にキャリア初期の頃はよく大喜利でも戦っていた。しかしプロの芸人として経験を積むにつれ、笑いの“基礎”という美学に魅了されるようになり、今ではかつていた空想部屋を抜け出しパターン2の部屋でプロとしての戦い方を勉強中である(厳密に言うと根暗一般人時代の発想も捨てたくはないのでその時の記憶も残しつつの両立を目指しているが)。
 だからたまに大喜利ライブなどで強い一般人(あるいはキャリアの浅い芸人)が教科書を知らない根暗独特の柔軟な発想を見せているとき、何だか懐かしい気持ちになる。そういうタイプの発想の角度にはどこか共通するものがあるので、登場するモチーフやその組み合わせ方など、自分がかつていた部屋に残してきたものを見ているようで妙に共感するのだ。


 話がずれたが、最後にパターン3を発表しよう。ある意味ではこれが最強かも知れないのだが、それは『場の空気を支配するのが上手い芸人』である。
 大喜利において、いや、全てのお笑いにおいてもそうなのだが、発想力や技術も勿論大事だが、場の空気を支配し客を味方につけることこそが実はウケるために一番必要なこととも言えるのだ。つまり自分のボケで笑ってもらうための準備(信頼)が整っている状態を作り上げるということである。そのためには開始前のアイドリングトークで笑いを取って自分への警戒を緩ませたりすることが大事で、それに必要な能力は社交性であり、もっと言うならそれをしやすくするために本番に至るまでに周りとの関係性を築いておくこと。
 そして当然ながら舞台という状況においては一般人よりも芸人の方が多いため、その点においては圧倒的に芸人が有利である。ゆえに大喜利ライブなどでどんなに発想力を爆発させるパターン1タイプの一般人がいても、結局はパターン2と3の能力を兼ね備えた芸人が優勝することが多いのだ(パターン1の能力もある程度持っている芸人もいる)。


 このように大喜利の強い人というのは個人的な見解として3パターンに分かれるわけだが、大喜利がこれほど一般人でも参加できるジャンルとして確立しているのは、やはりボケだけを考えればいいという気軽さにあるのだろう。
 パターン1タイプは教科書を知らぬゆえ、ボケ単体の面白さばかりを重要視しがちである。そこへきて大喜利は既に振りを用意してくれているだけに彼らの肌に合うということなのだと思う。

 しかしもしもパターン1タイプの人達で、その発想力を武器に今後芸人として売れていきたいと思っている人がいるのならば、残念ながらその武器は一度捨てなければならない。

 あらゆる世界で言われていることではあるが、自分の能力を商売にするならある程度の“基礎”は学ばなければいけない。つまり今いる部屋を抜け出さなければいけないのだ。いかに発想力だけ優れていても熟考する間もなく瞬間で展開していくフリートークなどの状況ではその武器はほとんど使い物にならないし、ネタを作る場合も当然大喜利では一切考えなかった“振り”も自分で考えなければいけない。唯一力を発揮できる大喜利でもパターン2、3タイプに持っていかれる場合が多いのだから、一部の間で天才ともてはやされてきたその武器は実は非常に脆弱なものなのだ。コンビで相方が全て処理してくれるのなら世界観としてある程度は通用するかもだが。

 多くの一般人がお笑いで重要なのはボケかツッコミだと思っているが、一番重要なのは“振り”である。振りによってボケは強くもなるし弱くもなる。その美学を知るとそこをとことん追究したくなるし、プロの世界でやっていくためには確実に通らなければいけない部屋である。柔軟な発想により独自のオモシロ空想ワールドで満たしていた部屋が懐かしいと思いつつも。


 勿論趣味として大喜利をやる分には全然何も考えず気軽にやればいいと思う。趣味は楽しむことが一番だから。

 ただ趣味聞かれて「大喜利です」とは言わない方がいいよ。

大喜利が趣味の奴ってこの世で一番モテないから。



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