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20240430 空間と渡り合うために

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ひびの先生が言及されているのは静岡のふじのくに世界演劇祭で上演された瀬戸山さんの『楢山節考』のことだろうなぁ、と考えながら、演劇をつくる人間のスタイル、というものについて思いを馳せずにはいられなかった。

▼瀬戸山さんは『楢山節考』以外にも『山椒魚』やガルシア・ロルカの『イェルマ』を利賀で発表されているはずで、それらの作品もすべてそうした鈴木忠志さんの模倣だったのかは定かではないにせよ、もし今回の『楢山節考』に鈴木さん(というか利賀村)の強い影響があったとすれば、昨夏利賀の山房で一夏かけて滞在制作をされたからではないかしら、という気はする。

▼演出家、劇作家、俳優が元々持っているスタイルというもの以上に、その作品を発表する場所というのが作品そのものをかなり強力に規程する。昨日の太田省吾さんの『小町風伝』の話のように、ある程度の肌感覚があるつくり手ならばかならず、テクストの言葉がその空間に負けないようにするために様々な戦略を練り、工夫をするものだからだ。

▼行ってみるとすぐにわかるように利賀村の山房というのは実際ものすごく特殊な空間で、かつて寺山修司さんが1982年の初めての利賀村のフェスティバルで『奴婢君』を上演した際に利賀山房の空間を現地ではじめて目の当たりにしたときに悩みに悩み、結局東京から用意して持ってきた大掛かりな舞台美術を一切使わずに『奴婢訓』を上演した、というような逸話があったりする。

▼「最近の演劇をつくっている人たちはそうした演劇の空間に対する感覚が乏しくなってきた」ということを晩年の前SCOT事務局長の斉藤郁子さんがおっしゃっていたのを読んだ覚えがある。実際に昨夏(2023年)利賀村で外部からの演出家の作品を何本か観た身としては瀬戸山さんの上演が空間の中での納まりと俳優の練度という観点からは最良のものであり、外でつくった作品をある種そのまま(新しい空間に対してそれほど綿密な調整をしないツアー公演的な感覚で)持ち込んで来られた作品の、空間の中で上演が上滑りしていってしまうような違和感の方が大きかった(それくらい利賀の劇場はどこも強烈なのだということではある)。

▼先の1982年の第一回の利賀村でのフェスティバルには太田省吾さんの『小町風伝』も参加されていて、たまたま当時を知る方からお話を伺ったところ「太田さんは山房の中にゴタゴタセットを建て込んで上演したんだけど……あんまりおもしろくなかったなぁ…」という話も出てきたりしておもしろい。それぞれの演劇作家が最良だという表現を選んで、うまく行ったり行かなかったりするのは演劇の醍醐味だという気持ちにもなる。

▼そんなこんなで、私たちははじめての野外での上演に向けて野外劇という上演の環境を強く想定した準備をしている。野外で上演をするのに、劇場で上演するのと同じように創作をするのはナンセンスである。雨にも風にも街のノイズにも負けない丈夫な俳優のからだがないことにはお話にならない。戸山公園の野外劇という新しい環境が、私たちの創作にも変化をもたらしている。

▼稽古場での話の中でわたしたち平泳ぎ本店というカンパニーの創作の肝は「テクストのコラージュ」と「演劇に対する批評性」だ、という話になったので、それについても追々きちんと文章を書けたら、と思う。

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