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20240206 演劇のコンクール(ハードコア編)

今はもうないけれど、かつて山の奥で年に一回開催される演劇のコンクールがあったのだった。東京から遥かに離れたその山の奥に、日本全国から若い演劇人たちが集まってその腕を競う。首都圏や大都市でもいろいろな演劇のコンクールが開催されてきているが、その中でも圧倒的にハードコアなのがそのコンクールだった。

▼私もあるときそのコンクールに書類を出したがてんで通らずに、もうひとつ別に書類を出していて通った都内のコンクールで大コケしたりして、そのコンクールへの道のりはほとんど閉ざされてしまった。その山の奥のコンクールでは、時にいろいろな伝説が生まれるのだと話に聞いていたので、行けなくなってしまって本当に忸怩たる思いだった。というか今でもずっと後悔していることのひとつである。

▼会場はもともといくつかある中から、室内の劇場と野外の劇場とを選ぶことができた。コンクールの晩年では室内の上演から優秀作が出ることも多かったが、後世に語り継がれるような伝説が生まれるのは圧倒的に野外の劇場なのだった。

▼野外の劇場には二つあって、そのうちのひとつが大きな岩が配されている舞台である。ある時この舞台に小屋を立てて、チェーホフの『かもめ』を上演した劇団があった。森の中に戯曲の登場人物たちが住み込んだかのような演出は大きな成果を挙げ、その手腕は当時審査委員長をしていた演出家をもってしても脅威を感じるほどのものだったため、あえて最優秀賞を出さずに優秀賞に留めたというような噂がまことしやかに残っていたりする。その劇団は2000年代から2010年代にかけて他の追随を許さない快進撃を遂げていた。

▼また野外の劇場にはもうひとつ、冬場にはスキー場の斜面となる緑のなだらかな坂が広がる大きな劇場があった。そこでは伝説に残る「場外ホームラン」と言われる上演を披露した演出家がいた。その人は当時最年少で滅多に出ない最優秀賞を獲得し、後に演劇界の芥川賞と呼ばれる岸田國士戯曲賞も獲得しているので、演出と劇作の両輪で大きな賞を獲得した異才となった。最後に一台の車が斜面を駆け下りてきて、登場している俳優たちを乗せて走り去ったというラストシーンは今も関係者の間で語り草となっている。

▼同じくスキーの斜面をつかった劇場で、ベケットの戯曲を上演して優秀賞を獲得した演出家もいた。この時は俳優が寝袋の中に入ったまま広大な斜面を転げ落ちてきて、毛虫のように蠢きながら台詞を発していたらしい。どの上演も実際には観られていなくとも、話を聞くだに発想や空間への果敢な挑戦に、わくわくするようなものばかりである。
 あまたの若く、才気あふれる演出家や俳優たちがその山奥のコンクールに挑んできた。上に書いたような話はほんの一部分で、事情をよく知る人たちからするともっとすごい逸話があとからあとから出てくる。私も自分の劇団でよほどそのコンクールに出て野外劇を上演したかった。でも叶わなかった。今はそのコンクール自体がなくなってしまったからだ。
 だからという訳ではないけれど、こんど新宿で、その野外劇の野望をすこしでも果たそうと、すこしずつ準備を進めている。

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かえるのおたま

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