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20240123 桜の木と添い寝 

『冬眠した熊に添い寝してごらん』というのは古川日出男さんの書き下ろし戯曲のタイトルだが、私が問いたいのは「桜の木と添い寝したことはありますか」ということである。私はある。「桜の木と眠る」というとなんとなく坂口安吾っぽさも感じられるが、なにもそんなロマンティックなものではない。

▼ある時チェーホフの『桜の園』を下敷きにした作品を下北沢で上演したことがあって、舞台で使う小道具として桜の木をつくってもらったことがあった。かなしき小劇団の常として、公演が終わったあとそういう舞台で使った小道具はだいたいが主宰の自宅に運び込まれるのだった。

▼下北沢の、ひときわ小さな劇場で上演したものだから桜の木といってもそんなに大きなものではない。身長にしたら165cmくらいだろうか。桜の木といっても中はアルミの筒みたいなよくわからん素材でできており、その周りに茶色い模造紙が巻いてあるような、素朴といえば素朴なつくりになっている。

▼主宰の自宅といっても都内の六畳一間のアパートの一室である。公演を繰り返すごとに「600個のカラーボール」や「実寸大のタラバガニ」や「なんだかよくわからんオブジェ」や「500個近い豆電球」や「なんか光るヒモ」や「200本以上のサイリウム」や「全身タイツ各色」みたいなものが溢れてすでに限界ちかくなっていた。

▼公演が終わってその桜の木を自宅に運び込んだはいいものの、それなりの大きさを伴ったそいつを置いておくにふさわしいスペースがもうどの一隅にもなかった。「なんでこんなもん持って帰って来たんだ…」という気持ちもあるにはあったが後の祭りである。立てて置いても寝かせて置いても165cm、もちろん幹だけでなく枝もあるので、クソ狭い部屋の中でちょっとした人間がひょうきんなポーズをとっているようなものだった。

▼それから私はしばらくの間、自宅のセミダブルのマットレスのなかで桜の木を抱えて眠っていた。桜の木 with meである。くる日も来る日も桜の木に腕枕し、桜の木とともに身を横たえていた。ラネーフスカヤもガーエフももういない。ロパーヒンによって斧を打ち込まれ倒された桜の木と添い寝しながら、今日も宇宙のどこかで上演されている、ありうべき桜の園の夢を見ていた。

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かえるのおたま

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