見出し画像

手ブレのジョン


「気にするな、ジョン。お前のせいじゃない」保安官の手が左肩をぽんと叩く。「大丈夫、逃がしゃしない。わしの仲間がついとる」いや。奴らは逃げおおせ、またやってくる。だからこそ、とどめを刺すべきだった。生きて逃がしてはいけなかったのだ。

つくづく自分が情けない。酒場に盗賊が現れたと聞きやってきたものの、背中に三発発砲するのが精いっぱい。一発は酒場の屋根に当たり、一発は看板を撃ちぬいた。最後の一発ときたら、近くに止まっていた馬車の車輪に当たり、馬が驚いて暴走。どさくさに紛れ奴らは逃走したのだ。一時間以上経っても手の震えは収まらない。むしろひどくなっている。保安官にもわかるはずだ。けれど保安官はなにかボソボソとつぶやき、俺の肩をまた叩いた。「じゃあな、よろしく頼むよ保安官代理」 思わず周囲を見回す。酒場には男たちがたむろしていて、浴びるように飲んでいる。だが外にいるのは、俺と保安官だけだ。

「今、なんと?」「なんだ、聞いとらんかったのか。よろしく頼むと言ったんだ」「そのあとです」保安官はしばらく考え、閃いたように、「保安官代理」「ーーいったいどういうことですか、俺、いや私がなぜ」「なぜもなにも、おやじさんのあとを継ぐんじゃろう」「確かに、いずれは後を継ぐつもりです」「それならちょうどいい。わしももう年だ」「でもまだ未熟で、とても務まりません」「謙遜するな。さっきの奴ら、命からがら逃げていったではないか。二度とここへは来んじゃろう」

「いや、だからそれはーー」自分の射撃が下手だから、どこに当たるかわからなくて逃げていったのだ。そう言おうとした。だが、いかにもホッとした顔の保安官を見たら、何も言えなくなってしまった。「じゃあな、保安官代理」保安官はにこやかに手を振りながら去っていった。大きなため息をつく。

「酒場の前でため息つかないでよ、客が入ってこられないじゃない」顔を上げるとマリーのふくれっ面。振り返ると、数人が所在なげに立っている。中へ入りたい、と手振りで示され、「あ、ああ失敬」と後ずさった。   「しけた顔しちゃって、一杯飲んでいきなさいよ」「いや、いい」「遠慮しないの! 奢りよ」心が大きく動いた。俺に? 酒を? マリーは誰にでも奢る訳ではない。彼女に酒を奢ってもらうのは、この町の男にとってこの上ない名誉なのだ。

「さあ入って」腕をつかまれ、酒場に引きいれられる。男たちの視線が刺さった。奢ると言ったのも聞こえていたはずだ。胡散臭そうに俺を見て、ヒソヒソと話している。「あんな手ブレ野郎のどこがいいのか」はっきりそう言う奴もいた。居たたまれなくて、視線を避けるように歩く。カウンターにたどり着くと、「座って」と手で示された。おやじがいつも座っていた丸椅子だ。「早いわね、明日で十一年なんて」

保安官だったおやじはいつも町を見回って、最後にこの椅子に座って酒を飲み、それから家路についた。毎日、必ず。亡くなった日もここで酒を飲み、家に帰るはずだった。飲み終えて立ち上がり、代金を置いたそのとき。酒場に強盗が入った。おやじは銃を取り出そうとしたが、一瞬だけ早く、強盗が発砲した。弾は心臓を貫き、おやじは死んだ。俺が十二のときだ。

「どうぞ」マリーが差し出したのは、おやじがいつも飲んでいた酒だ。ウイスキーをベースに、試作を重ねたという。ひとくち飲んでみるが、旨さがわからない。酒を飲んでいなかったら、おやじは死ななかったんじゃないか。その思いが拭えず、成人しても酒はほとんど飲まない。飲みつけないものを飲む気になったのは、やはり彼女に誘われたからだろうか。「私もいただくわね」同じ酒を一気に飲み干す。「相変わらずいい飲みっぷりだな」「伊達に何年も酒場を切り盛りしてないわよ」笑顔のマリーは美しかった。

マリーとは兄妹のように育った。酒場の主人と俺のおやじは、南北戦争でともに戦ったという。二人とも、勲章をたくさん貰った。おやじは書斎だけでなく居間にも飾っていたが、酒場の主人が勲章を飾っているのは見たことがない。一度、それとなく尋ねたことがある。マリーの父親は渋い顔をして、人殺しなんざ誇ることじゃねえ、と言ったきり、口をつぐんでしまった。戦争に対する考え方の違いを垣間見た気がした。それでも、おやじとは仲の良い友人だった。亡くなった後も時折、懐かしそうにおやじの話をして、聞いている俺も懐かしさでいっぱいになった。今日のこの酒も、おやじのための一杯だ。思い切り飲み干すと、のどが灼けるように熱い。水がほしい。「マリー、水を……マリー?」咳き込みながら見回すと、マリーが男たちに囲まれている。ーーマリー!

「なあ、あんな奴ほっといて俺と飲もうぜ」「うるさいわね、離してよ」「へへへ、いいねえ気が強くて。あんたと酒が飲みてえんだよ、なあいいだろう」「あんたと飲む酒なんてないわよ。あたしを口説こうなんて百年早いのよ」「なんだとこのアマ! 下手に出てりゃいい気になりやがって」男が挙げた右手をすかさずつかんでひねり上げる。おおっ、と歓声が上がった。「あいててて……」「その辺にしておけ。放り出されたくなけりゃな」「くそっ何しやがんでい、この手ブレ野郎!」「いいから大人しく家に帰れ」「うるせえ、お前の言うことなんざ聞けるか!」

「いいのか? どんな理由でも、俺はお前をぶち込めるんだぞ。保安官代理だからな」野次馬が息を呑む。「保安官代理」が効いたのか、男が急に大人しくなったので、腕をひねったまま酒場の外へ連れ出し、道ばたへ放り出した。

酒場から知り合いとおぼしき男たちが数人出てきて、倒れた男を抱えて去っていく。酒場へ戻ると、マリーがほかの客を追い出しているところだった。「さあさあ、今日はもう店じまいよ。飲みたいならまた明日来ておくれね」ブツブツ言いながらも客は出ていき、大きなトラブルもなく酒場は空になった。

「助かったわ、ありがとう」「なんの、お安いご用さ」「飲みなおさなきゃ」「いや、今日は帰るよ。水をもらえるかな」「もちろん」マリーに渡された水を一息に飲み干す。「さっきの奴は常連か」マリーは首を横に振る。「初めて見る客よ」俺のことを手ブレ野郎と呼んでいた。しばらく居座っていたのだろうか。盗賊の仲間という可能性もある。「じゃあ、また明日」「ええ、また明日。待ってるわ」「おやじさんによろしく」マリーはそっと目を伏せ、静かにうなずいた。

言った瞬間、しまったと思ったがもう遅い。おやじさんを撃った俺になど言われたくないだろうに。

十五で保安官の手伝いを始め、あの強盗が現れるのを待ちわびた。もちろん復讐のためだ。二年後に再会した強盗の、太腿を俺は狙った。そのはずだった。だがマリーのおやじさんが強盗を取り押さえようとして、弾はおやじさんの腰に当たり、それがもとで寝たきりになった。今から六年前、俺が十七のときだ。

それ以来、銃をまともに扱えない。狙いを定めるたび手が震える。ひどいときは銃を持った瞬間から震えてしまう。事情を話し、保安官に射撃場を作ってもらった。毎日何時間も練習している。それでも一向に改善しない。こんなことでは保安官代理など務まらない。だが射撃の腕が上がったと信じて疑わない保安官は、俺を保安官代理にすると言った。練習を始めた頃と何も変わらないのに。

母の待つ家に帰りたかったが、いつ盗賊が現れるかわからない。保安官事務所に泊まることにした。とはいえ食べるものがない。あちこち漁って出てきたのは酒とトランプゲームだけ。無理もない。鉄道ができるまで、盗賊団が来たことはなかった。仕方なく飲めもしない酒をあおる。最悪の気分で眠りについた。

夢を見た。マリーが泣いている。怒りに震え、なんとしても泣かせたやつを見つけようと誓った。すると男が現れた。こいつか? 男はマリーに近づいた。何か話している。いきなりマリーがそいつをひっぱたいた。ざまあ見ろ。マリーは去る。男が顔を上げる。がく然とした。ひっぱたかれたのは俺だったのだ。

最悪の気分で目覚め、保安官事務所を出ると、保安官見習いのトニーに出くわした。今日は保安官と行動しているはずだが。「なにかあったのか」「はい、盗賊団が現れました」「なに? 近いのか」「今はまだ。でも昼過ぎにはここまで来るだろうから、代理に知らせるようにと」「わかった」トニーは下を向いてもじもじしたあと、思い切ったように顔を上げた。「あの、代理」「なんだ」「俺も、いえ、私もお供させてください。保安官から今日一日自由にしていいと言われてきました。お願いします」トニーの目には力が満ちあふれている。なんとしても町を救うという、強い意志の現れだ。俺はトニーの肩をぽんと叩いた。「急ぐぞ」「はい!」

酒場までやってきた。マリーに知らせなくては。入り口に手をかけた瞬間、夢の光景を思い出す。「トニー、女主人に盗賊団のことを」「あっ、はい。代理は?」「射撃訓練をする」「了解しました」勇んで酒場に入るトニーを見送り、訓練場へ向かう。訓練場といっても、使わなくなった馬小屋だ。壁に張った的をめがけて銃を撃つ。的は動かないから、練習を積めば当たるはずだ。マリーを守るためにもーーそうだ、幼い頃病気で母親を亡くし、俺のせいで父親が寝たきりになってしまった、マリーの笑顔を守るんだ。

薬きょうを排出し、銃弾を装填する。射撃訓練でよかったのは、薬きょうを出して銃弾装填、撃鉄を上げ引き金を引く、この一連の動作に慣れたことだろう。的までの距離は7メートル。銃を構える。震えはない。撃鉄を上げて撃った。弾が放たれた瞬間、ダメだと分かる。当たったのは的より20インチも下だ。もう一度。構えるとやはり震えはない。よし。だがやはり外れている。的の右側に15インチ。当たらないなら一緒だ。もう一度、もう一度と、繰り返し撃つ。的に当たらないまま弾切れになった。薬きょうを出し、銃弾を装填する。さてもう一度と銃を構えたとき、悲鳴が聞こえた。

ーーマリー?!

射撃場を出ると、道の真ん中にマリーが立っていた。だが様子が変だ。「来ちゃダメ!」マリーは両側から押さえつけられていた。怒りに体が震える。片方は昨日しつこく絡んでいた奴だ。もう片方も見た顔だ。待てよ、たしか昨日、振り向きざまに俺を罵った……。そうだ、あのときの盗賊!

「マリーを放せ」「いやだと言ったら?」「貴様らを撃つ」二人が同時に笑う。「できるもんならやってみろ」「そうだ、この手ブレ野郎!」ぶち切れた。「貴様らああ!」勢いに任せ発砲する。「ひゃああっ」悲鳴がとどろいた。誰だ。「こいつは傑作だ。保安官見習いを撃っちまったぜ。あんた、もうおしまいだな」男たちは大声で笑った。だが俺はようやく肝が据わった。おしまいなら、こいつらと心中してやる。

「トニー!」「は、はひぃ」「保安官を呼んでこい!」「し、しょうひしまひた!」ろれつが回らない。腰も抜けているのか、なかなか起き上がれない。「もたもたするな!」「はいっ!」ようやく立ち上がって走り出した。男たちの目には一瞬焦燥が浮かんだが、マリーを放り出してまで追うことはないと判断したようだ。

問題は、どうやってマリーを解放するか。射撃場の的までの距離は7メートル。こちらは8、9メートルといったところか。問題はないはずだ。当たりさえすればーー。男たちに目をやると、マリーの頭の先から足の先まで舐め回すように見ている。怒りがこみ上げた。「見てんじゃねえ!」男たちはニヤリと笑うと、マリーの頬に唇を近づける。身をよじってかわそうとするマリー。だが押さえつけられているせいで上手くいかない。くそっ……拳を握り締めたあと、開いて、その手にもう一度銃を握る。そして構えると、マリーが言った。

「ねえジョン、ものは相談だけど」「なんだ」「あたしの右胸の下辺りを撃ってくれない? ほら、子どもの頃、ホクロがあるってあんたが騒いだところ」ぶはあと息をふきだした。何を言い出すんだ!「ねえちゃん、そんなところにホクロがあんのか」「そうよ、見たい?」右側の男が、マリーの右胸の辺りをじろじろ見はじめた。ーーやめろ! 引き金を引いた。

「痛ぇ、痛ぇよぉ」男はマリーから手を離し、右太ももの辺りを押さえてのたうち回っている。何が起きたんだ。呆然として、のたうち回る男と銃を交互に見るが、さっぱりわからない。「相棒に何してくれる!」左側の男が叫び、マリーに銃を突きつけた。

「ねえ、ジョン、こんどはさ、あたしの左脚のつけ根辺りを狙ってくれないかな」「なんだと?」「覚えてない? あんたがキスマークつけたでしょ」「「キスマークぅ?!」」男と同時に叫んだ。「そうよ、もちろん子どもの頃だけど」めまいがした。「マリー、頼むから大人しくしていてくれ」「あら、大人しくお願いしてるじゃない。ね、これで最後だから」わかった、と銃を構える。男もマリーの頬に銃を突きつけているが、撃鉄は上がっていない。撃つ気はないということだ。俺は違う。目を閉じて深呼吸をする。信じろ、自分を、いやマリーを。再び目を開け、マリーが言ったあたりを狙って素早く撃った。

「ぐはあっ!」男は左肩を押さえ、口から血を吐きながらのたうち回る。予想はしていたが、やはり驚きを禁じ得ない。男の支えを失ったマリーがへたり込む。駆け寄ろうとしたとき馬車の音がして、保安官とトニーが降りてきた。「トニー、やつらを縛り上げるんだ!」

保安官に助け起こされ、立ち上がったマリーは会釈して言った。「皆さんに感謝します。おかげで助かりました」それから向き直り、俺のほうへ歩いてくる。だが途中で力が抜けたのか、崩れ落ちそうになったのをかろうじて受け止めた。

「無茶するな」ごめんなさい、としおらしく目を伏せ、だがすぐに俺を見据えて言った。「ありがとう、助けてくれて」マリーの頬は紅潮し、瞳が潤んでいる。その射貫くような目を、俺は直視できなかった。「当たり前のことをしたまでさ」目をそらす俺に、マリーが耳打ちしてくる。「なんで弾が当たったか知りたい?」「あ、ああ」たしかに気になる。

「射撃場でいつも見てたから、どのくらいズレるか大体わかってた。でも今日は練習を見られなくて、どうするか迷ったんだけど……あんたに賭けようって思ったの」「俺に?」「きっと助けてくれると信じてた」彼女の瞳は輝きをたたえ、俺をとらえて離さなかった。「マリー……愛している」「うれしい! やっと言ってくれたのね」マリーが抱きついてくる。「あたしもよ、ジョン」

言葉にならない思いが次々わき上がる。おやじさんを寝たきりにしてしまった俺を、最後まで信じてくれた。そのことが何よりうれしく、たまらなくマリーが愛おしくて、彼女をぎゅっと抱きしめた。きっと幸せにする。苦労をかけたり泣かせたり、そんなことは絶対にしない。だからーー「結婚してくれ」「もちろん!」

はじかれたように夢中で唇を重ねる。最後に俺が見たのは、真っ赤に潤み、だが同時に喜びで満たされたマリーの瞳だった。

終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?