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カブトムシインフレは教育上良くない?

例年、この時期はカブトムシの幼虫を採りに行っています。しかし今年からは幼虫を採りに行くのはやめることにしました。

カブトムシの幼虫はポイントさえ見つければかなりの数を採集することができます。これまで何年も育ててきたので蛹化・羽化もかなりの確率で成功させ、夏には多くの成虫が誕生します。幼虫・蛹・成虫と全てのステージを観察することができますし、数も確保できるので効率的です。
良いことずくめな気がしますが、なぜ幼虫を採りに行かないことにしたのか?それはカブトムシ採集による子供の感動が少なくなくなったからです。

大人になってから初めてカブトムシを採ったのは、現在中2の長女が幼稚園の時でした。家族でキャンプに行った際に、虫かごをもって近くの木々を回りましたが全く見つけられませんでした。夕飯時に薪を買いに管理棟に行った際に管理人に聞いてみると管理棟の近くの木によく集まっているとのこと。テントに戻り際に見てみると何と大きな雄のカブトムシが居るではないですか!子供に自分で見つけさせたいという親心からその場で捕獲はせず、すぐにテントに戻り娘に「あっちのよく居るらしいから見に行こう」と声を掛けポイントに向かいました。ポイントに到着しましたが、薄暗くなってきたこともあり長女はなかなかカブトムシを見つけられません。しかし、あの辺りはどうか?などと誘導しついに発見しました。
初めて自分でカブトムシを見つけた際の感動はとても大きなもので帰宅してからも大切に育てていました。死んだ時にはとても悲しそうでお墓も作るくらい愛着を持っていました。

そこから数年経ち、長女はカブトムシ採集から卒業し、現在は長男・次男との採集活動が中心です。この数年間で私のカブトムシ採集技術は飛躍的に向上しました。よく採れるポイントをいつくか開拓し、バナナトラップなどのスキルを身に付け、更には幼虫から沢山羽化させることもできるようになりました。
最近は幼虫の羽化を待ちながら、シーズンには何度もトラップを仕掛け、沢山のカブトムシやクワガタを捕獲。夏の間、我が家では沢山の虫かごが溢れています(昆虫だけでなくトカゲやザリガニも・・)。このような状況になって思うのが、採集に行ってカブトムシを見つけても感動がなくなったということです。家には沢山のカブトムシがおり、幼虫から飼育していた個体も次々に成虫になっていきます。そうするとカブトムシに対する希少性もなく、ありふれた存在となります。まさにカブトムシインフレ状態です。希少性も少ないので子供の関心も少なくなり扱い方も雑になります。かつては毎日必要以上に餌を与えていたのに、言わないと餌を与えないようになってきており、子供の教育的にも良くないと感じました。かつて、一匹のカブトムシを必死に探し回っていた当時の感動が懐かしく感じます。

かつて『一杯のかけそば』という童話が話題になりました。大晦日に二人の子供を連れた母親が来店し、三人で一杯のかけそばを食べるというお話です。当時の三人にとっては忘れなれない美味しさだったと思います。
あまりに物が溢れると有ることが難しい“有難い”から“当たり前”になってしまいます。そのせいで感動や感謝の気持ちも無くなってしまいます。

どんな物でも当たり前のように必要以上に手に入る現代社会は物質的には豊かになり便利です。しかし、ちょっとしたことに感動できていた時代と比べて精神的に豊かになっているのでしょうか?
少なくても子供に与えすぎることは色々な弊害があるのではないかと思い、ちょっとしたことですがカブトムシの幼虫を採ることをやめてみました。

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