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『マチネの終わりに』第六章(2)

 蒔野はそれで、回想する度に、雑然と小山になったトランプの中から目当ての一枚を手探りするように、思い出そうとするまさにその光景だけでなく、その周辺的な断片ともしばらく戯れることになった。

 洋子のアパルトマンを訪れた時の絶望的な心境も、今はもう、ちょっとした笑い話だった。夕食を摂り、ジャリーラのためにギターを弾くまでの間、彼の心は落ち着かなかったはずだが、振り返るとその時間は、いつの間にか、見違えるほど色鮮やかに、陰翳豊かに彼の過去を染めつつあった。
 コンクールの優勝でもコンサートの成功でもなく、ただ談笑しながら食事をして、リラックスしてギターを弾いただけのあの数時間が、自分の人生には、またとないほどの輝きを放っていることに、彼はほとんど奇跡的なものを感じた。うっとりとした心地になり、胸を締めつけられ、そして最後には、決まってなんとなく不安になった。
 その理由が、蒔野にはよくわからなかった。あまりに眩しすぎて、ふと現実に戻ると、その残像が反転して影のように残った。通念的な懐疑から、そういう美しい瞬間の群は、渓流に棲む鮎のようなもので、ただ濁りなく澄みきった場所にだけ棲むことが出来、日常の下流へと流されてしまえば、悉く死に絶えてしまうのではとも疑われた。
 ジャリーラという特別な存在のせいかもしれない。彼女のおかげで、蒔野は洋子と、ただ二人で向かい合うだけでなく、二人で同じ相手のことを一緒になって心配し、慰め、真に人間的な優しさを発揮すべく試みられていた。そして、同僚たちに首を傾げられながら、二度もバグダッドに赴き、九死に一生を得て帰国した洋子の無力感と葛藤の一端に、ほんの僅かにではあったが、触れ得た気がした。

 ジャリーラが、あの時、あの場所にいたという事実は、思い出を、単に美しいという以上の何かにしていた。洋子がリルケの《ドゥイノの哀歌》を朗読し、続けて彼が《幸福の硬貨》を演奏したあの十分間。――洋子とジャリーラ、そして、自分というその三角形は、彼の中に、深く覗き込み、同時にまた遥かに見上げるような特別な場所を開いていた。


第六章・消失点/2=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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