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『マチネの終わりに』第五章(8)

 何もこんな派手な場所ばかりではない。蒔野は、早くに死んでしまった両親を思い出して、洋子なら、あの二人ともきっと気さくに会話を楽しんでくれただろうと想像した。今はもう人手に渡ってしまった実家の、あの寒々しい、お世辞にもきれいとは言い難かった風呂でも、笑って気にせず入ったんじゃないか。……

 洋子を通じて、自分はもう一度、このヨーロッパという世界と出会い直せるのではないかと、蒔野は思った。自分がこれまでに知ってきたこと、これから知るであろうことについての、彼女の意見を聞きたかった。彼女と語らい続けることで、自分が変われる期待があった。

 そして、それがもう叶わない未来は、最初から彼女と出会うことのなかった未来とは、決して同じではあり得なかった。

     *

 蒔野聡史の演奏家としての沈黙は、一般には、あの華々しいサントリー・ホールでのコンサートの成功後、唐突に始まったとされているが、実際には、二〇〇七年に入ってからも、客演・共演は少数ながら続いていた。

 まったく演奏していなかったと誤解されるのは、この間の消息を伝える記事が、そう手短にまとめがちだからだろう。とはいえ、リサイタルは既に行わなくなっていて、マドリードから再びパリに戻った後の六月十日のコンサートは、従って唯一の例外だった。

 ところが、公式記録の中では、この一回は“無かったこと”として抹消されてしまっている。

 蒔野本人の自己評価はともかく、実際に当日、会場であるサル・コルトーで演奏を聴いた者たち――エコール・ノルマルの講師や学生、この〈正午過ぎのコンサート〉の常連客ら――は、口を揃えて「素晴らしいコンサートだった。」と絶賛している。ただし、「あの最後の曲を除いては。」という一言が必ず付された。

 マドリードのフェスティヴァルで、蒔野が精彩を欠いたのは事実だったが、この日は、その「最後の曲」までは、虫眼鏡で見ても疵一つ見つからないほどの完璧な演奏だった。


第五章 再会/8=平野啓一郎 

#マチネの終わりに


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