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『マチネの終わりに』第二章(15)

 あれ以来、耳に入ってくる評判は、絶賛ばかりだった。彼はそれをまるで信用していなかったが、この期に及んで、案外そうかもしれないと、信じたい気持ちになった。聴けばいつものように、ほっとするのではないか。再生ボタンを押すと、彼は固唾を呑んで、アランフェス協奏曲に耳を傾けた。あの日の舞台が、ありありと思い返された。どうにか最後まで辿り着くと、割れんばかりの拍手を早送りして、アンコールの二曲を確認した。そして、武満のビートルズを残したまま、CDを止めると、暗い面持ちでソファに身を投げ出した。どちらかというと、彼はその最後の拍手喝采を聴きたくなかった。
 洋子が気に入ってくれたブラームスは、まずまずだった。全体的にも、悲観していたほど悪くはないのかもしれない。初めてコンサートで使ってみたスモールマンも、味わいには欠けるが、確かによく鳴っている。誰が弾いても同じくらいに。
 音楽に於ける深みと広がり。長きにわたって幾度となく聴き返されるべき豊富さと、一聴の下に人を虜にするパッとした輝き。人間の精神の最も困難な救済と、せわしない移り気への気安い手招き。魂の解放と日々の慰め。――現代の音楽家のオブセッションのようなそうした矛盾の両立は、ここ数年、蒔野が苦心して取り組んできた課題だった。その点で、彼は実際、どんなギタリストよりも成果を上げつつあった。彼の矜恃はそれを認めつつ、茫漠とした、無闇な不安に包まれていった。
 確かに、ケチのつけようのない演奏だった。しかしそれは、欠点がないというより、恐らくは欠点がわからなくなっているだけなのだった。
 表現は、全体としてもうひとつで、掲げられた理想は、意気の割に凡庸だった。
 この演奏には、たった一つを除いてすべてが揃っている、と蒔野は感じた。しかし彼が、今や身悶えするほど欲しているのは、まさにその一つだった。
 未来がない、と彼は感じた。これまでどんな時期の演奏にもあったはずの、あの現下の完成を待ちきれずに、もう芽吹こうとしている次なる音楽の瑞々しい気配がなかった。いやむしろ、既に顔を覗かせつつある幾つかの芽に、彼は冷めた幻滅を感じているのだった。


第二章・静寂と喧噪/15=平野啓一郎 

#マチネの終わりに


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