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『マチネの終わりに』第六章(8)

「もっと早く話してくれても良かったのに。」
「人間関係を、そういうところから始めたくないの。色気も何もないでしょう? もっとアピール・ポイントがあるのよ、わたしにも。」
「知ってるよ。結構、詳しい方だと思う。」
「ありがとう。――でも、今はもう、そういうことも、知っておいてほしいから。」
「自分の人生の一部のつもりで聴いてるよ。」
「……ありがとう。……ついでだから、もう一つ言うと、――あなたは、わたしの中に、ヨーロッパ的なものを見ようとしがちだけど、自分の意識としては、ちょっと違うの。でもそういうことも、イラクであなたのバッハを聴きながら考えたことが元になってる。」
「ああ、あの話?」
「戦争は、それは、誰が誰に何をしたかっていう問題は決して蔑ろに出来ないけど、その上で“人類”っていう見地もあるでしょう? 人間として、すべきこと、すべきでなかったことっていう。他と比べて、自分はまだマシだったとか――自分の国はマシだったとか――そういう相対的な見方は、所詮は加害者同士の醜い目配せよ。わたしはそういうの、どうしても許せないの。被害者っていうのは、決して相対化されない、絶対的な存在でしょう? 長崎の原爆とロンドンの空襲とを比べて、どっちも酷かったんだから、もう言わないことにしましょうなんてことには、決してならない。そうしてはいけない。やっぱり、被害者に対しては、人類っていう見地がどうしても不可欠になってくる。――そういう発想自体が、ヨーロッパ的だって言われれば、そうなのかもしれないけど、そこから先の議論は、わたしは興味がないの。」
「……わかるよ、それは。」
「あなたの音楽だって、やっぱり、人類的に愛されてるのよ。ジャリーラだって、あんなに感動してたでしょう?」
「朗読が良かったんだよ。」
「わたしの言ってること、ナイーヴだと思うんだったら、父の映画なんてどうなるの? 民族も文化も宗教も乗り越えられるっていう思想よ。キレイごとじゃない。イラクだって、そのためにあんなに人が死んでるんだから。」


第六章・消失点/8=平野啓一郎

#マチネの終わりに

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