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【5月26日刊行予定!】第二章「再会」【試し読み】

『マチネの終わりに』、『ある男』に引き続き、愛と分人主義の物語であり、その最先端となる平野啓一郎の最新長篇『本心』(文藝春秋社)を、5月26日(水)に刊行いたします。🎊

発売記念に、プロローグから第三章まで、noteでも試し読み公開!
それでは、平野啓一郎の3年ぶりの新作『本心』をお楽しみください。

目次

プロローグ 5月17日(月)公開
第一章 〈母〉を作った事情 5月19日(水)
▶︎▶︎第二章 再会 5月21日(金)
第三章 知っていた二人 5月24日(水)公開予定
第四章 英雄的な少年
第五章 心の持ちよう主義
第六章 〝死の一瞬前〟
第七章 嵐のあと
第八章 転落
第九章 縁起
第十章 〈あの時、もし跳べたなら〉
第十一章 死ぬべきか、死なないべきか
第十二章 言葉
第十三章 本心
第十四章 最愛の人の他者性

第二章 再会

 VF製作のために、僕は母の口癖や趣味、人となりなど、膨大な項目の質問票を宿題として課されていた。その作業によって、僕の記憶は分類され、整理されていったが、意外に頼りないところもあった。
 母に対しては、幾つもの後悔がある。
 僕は大人になって以来──いや、もっと前から──母の体に指一本触れたことがなかった。日本の成人男性としては、取り立てて珍しくもない話だが、母の亡骸を納棺しながら、なぜこの体が温かいうちに、自分は母を抱擁しなかったのだろうかと考えた。
 母はまだそこにあったが、しかし既に、いなくなってしまっていた。そして、僕の体に移し取られたその冷たさだけが、今でも痣のように膚に残っている。
 せめて、事切れる最後の瞬間に、手だけでも握ってやっていたなら。──こればかりは、VFを作ってみたところで、決して満たされることのない思いだろう。

 僕は野崎に、母のライフログも、一切合切、渡していた。メールのやりとりや写真、動画が主で、ソーシャル・メディアはほとんど更新していなかった。
 特に母と話したことはなかったが、死後にライフログが遺されることは、不本意だっただろう。〝自由死〟を考えていたほどなので、すべて消去してあるのではと思っていたが、意外にも、近年のものは手つかずのまま保管されていた。古い写真や動画も、探せばどこかにあるのかもしれないが、考えてみると、母の若い頃の写真を見せてもらった記憶がない。ひょっとすると、それこそどこかの時点で処分したのではあるまいか。
 母が唐突に、〝自由死〟を願うようになった理由も、ライフログを虱潰しに読めば判明するのかもしれないが、僕にはそれが出来なかった。
 気力がなかった、というのが、一番の理由だった。遺品もずっとそのままにしてある。それが憚られるほどには、母の存在はまだ僕の中で生々しかった。
 第一、母が生きていればこそ、その考えを改めさせる手立てもある。今知って、どうなるのだろう?
 母の何もかもを知りたい、というわけではない。
 母が敢えて僕に秘していたことには、それなりの理由もあるだろう。
 野崎に渡すために、メールを確認しながら、それでも、死の前の数ヶ月分は目を通した。しかし、ジャンク・メールに紛れたそれらの大半は、他愛もない連絡事項ばかりで、意味のある内容は見当たらなかった。念のために、「自由死」、「死にたい」という言葉も検索したが、該当するメールはなかった。
 母のライフログをすべて学習したVFは、僕に何か、思いがけない真相を語り出すだろうか? 母の本心? だから、死にたかったのだ、と。──勿論、VFに心などない。しかし、僕が訊ねれば統語論的に分析して、適切な回答をしてくれるのではあるまいか。……

 VFの製作には一ヶ月を要するとされていたが、野崎からの問い合わせは、僕の母への思慕を早速、動揺させた。
「お母様の写真は、保存時に自動修正されています。肌の色合いだけでなく、表情もですね。口許が実際以上の笑顔になっていたり、目が優しくなったりと、一般的なカメラの機能程度ですが。──その修正されたままのお顔をモデルに、VFを製作するか、それとも、修正を解除して、元のお顔で製作するか、ご判断いただけますか? サンプルとして、画像をお送りしますので、ご確認下さい。」
 送られてきたのは、僕が母と裏磐梯の五色沼湖沼群を旅行した時の写真だった。五年前、二人でお金を貯めて、一泊二日の温泉旅行に出かけ、サルヴァドール・ダリをコレクションしている諸橋近代美術館の睡蓮の池の前で、僕が撮影したものだった。
 レマン湖のシヨン城を模したようなその建物は、青空ごと、鮮やかに池に映じていた。
 僕も折に触れて見返すことがあったが、母が保存時に自動修正の設定にしていたことには、まったく気づかなかった。あまり機械に強くなかったので、勝手にそうなっていたのかもしれない。その写真の集積が、記憶の中の母の表情までをも、僕に無断でずっと修正し続けていたのだった。
 比べてみると、無加工の写真の母は、言い知れず寂しげで、口許の笑みは僕の瞬きにさえ堪えられずに消えてしまいそうなほど、曖昧で、微かだった。
 修正は、僕の無意識にそっと滑り込むような方法で、極めて巧みになされていた。写真として見栄えが向上したことに気を取られて、人物の顔かたちにまで変造が及んでいることに、意識が向かなかったのだろう。実際、青空はより冴え、緑は一層、鮮烈に染め直されていた。
 母は、一言で言うと、あまり楽しそうに見えず、その事実が、僕の心に打撃を与えた。
 しかし、しばらく眺めていると、その記号めいた幸福感には回収され得ない、複雑な笑みの陰りこそは、僕が日々、接していた母の顔だという感じがしてきた。
 どちらがより懐かしいかと言えば、無加工の方だった。
「本当にきれいね。水が澄んで。池の畔のどこかに、ナルキッソスがしゃがんでいそうなくらい。覗き込んだら、お母さんの顔も、ほら。」
 修正された母は、とてもそんなことを言いそうにはなかった。母の中には、生涯、ほとんど役に立つ場所を得られなかったそんなペダントリーが、捨てることも人に譲ることも出来ないまま溜まっていたのだったが。
 あの時、鏡のように正直な水面に、母は自分のどんな顔を見ていたのだろうか。……

 野崎は確かに、最初の面会で、「理想化」について説明していた。僕はそれを呆れながら聞いたが、母のVFが、この表情の陰翳まで留めているべきかどうかは、悩ましかった。
 僕は一体、何を求めているのだろう?
 期待しているのは、ただ、僕自身の孤独が慰められることのはずだった。
 実際、僕は母のVFのモデルを、死の四年前に設定していた。母が、〝自由死〟の願望を口にしたのは、三年前のことだった。以来、僕たちの関係は、どんな平穏な時にも一種の軋みを孕んでいて、思いつめた表情の母が、「時間がないから。……」と、またその話を蒸し返す度に、僕は拒絶的な態度を取った。そして、それが辛くて、他の時間には、かつてなく濃やかな愛情を母に示そうとしていた。
 僕は、そんな風になる前の、屈託のない表情の母を懐かしんでいた。が、実際には、既にこの裏磐梯への旅行の時点で、母の心には、自分の人生の終え方についての萌芽らしき考えがあったのかもしれない。

 僕を産むまで、母は安定した高い賃金の会社で、正社員として働いていた。それは、〝ロスジェネ〟と称されていたあの世代では、羨望されるべき生活だった。
 母が父と出会ったのは、東日本大震災時のボランティアを通じてだという。
 二人は事実婚をし、僕を儲けたが、三年後に関係を解消している。婚姻届を出さなかったのは、個人の生を戸籍によって国家に管理されたくないという、父の思想によるもので、母もそれに同意したそうだが、昔から僕にはよく理解できないことの一つだった。
 以後、母は父との連絡を一切断っているので、僕は、父の顔を写真でしか知らない。
 僕の記憶の立ち上がりは、ほとんど、現実を最後まで拒否していたかのように遅かった。小学校に入学する以前のことを、僕は何も覚えていない。父は、母はともかく、僕にさえ、その後、一度も会いに来ることがなかった。
 当然、少年時代には、父を恋しがり、恨みもしたが、他方で自分をどこかのあっと驚くような人物の落胤ではないかと夢想することもあった。
 母が、父のことを決して悪く言うことがなく、ほとんど美化さえしていたことも、その一因だった。

 母はその後、一人で僕を育てながら、職を何度か変えて、最後は、団体客相手の安い旅館で下働きをしていた。
 今の世の中では、あの年齢で仕事にありつけただけでも満足すべきだが、不本意だったに違いない。出だしは良かったはずなのに、結局は母も、死ぬまで低賃金労働者層に固定化されてしまう〝貧乏クジ世代〟の宿命から逃れることが出来なかったのだった。
 しかし一体、今のこの国で、仕事から生の喜びを得ているという人間が、どれほどいるだろうか? こんな問いは、冗談でもなければ、人を立腹させる類いのものだろう。
 多くの人間が、自分が生きているという感覚を、疲労と空腹に占拠されている社会で、僕は母の「もう十分」という言葉を聞いたのだった。

 野崎は僕に、基本的な方針を尋ねていた。つまり、VFの母に、ただ優しく微笑んでいてもらいたいのか、それとも、本心を語ってもらいたいのか。たとえそれが、僕を一層深く傷つけることになるとしても。──

 母のVFは、予定通りに完成した。僕はその連絡を喜んだが、納期に間に合わないと謝罪されても、やはり喜んだ気がする。僕の中には、凡そ素直な気持ちというものが見つからなかった。
 二度目にフィディテクス社を訪れた時、僕は午前中に一つこなした仕事のせいで疲労困憊していた。
 初めての珍しい依頼で、いつもは人の指示通りに動いている僕が、この日は逆に、自宅から指示を出す役目だった。
 依頼者は、最近、緑内障で失明したという初老の男性だった。
 介添えなしで、視覚障害者向けのナビゲーション・アプリを使って町を歩いてみたいが、まだ不安なので、遠隔で見守っていてほしいというのだった。緊急の危険が迫っている時や、どうしても困った時には、指示を出してほしい、と。普段、僕が使用しているゴーグルを彼が装着するのだったが、それを介して、僕が彼の目になることに違いはなかった。

 二子玉川から銀座に出て、買い物をして帰るまでの三時間の契約だった。ナビ・アプリはよく出来ていて、ほとんどの時間、僕はただ見ているだけだったが、怪我をさせてはいけないという緊張と、干渉し過ぎてはいけないという自制とで、狭い場所に閉じ込められているような窒息感があった。
 少し会話をしたが、身寄りがなく、ボランティアのヘルパーも、人手不足で順番待ちなのだという。
 彼がこの日買ったのは、風鈴一つだけだった。どんな柄かと尋ねられたので、金魚と水草が描かれていて、濃い青で表現された水が涼しげだと説明した。
 彼は、「中から見たら、この世界の全体が水槽みたいに感じられるでしょうね。」と言った。

 フィディテクスに到着すると、顔認証を受けて、またあの応接室に案内された。
「暑いですね。どうぞ、そちらにおかけください。お飲み物は、何をご希望ですか? アイスコーヒー、炭酸水、……いろいろございますが。」
 ソファを勧められ、僕はアイスコーヒーを注文した。
 テーブルの上には、既にヘッドセットが準備されている。僕が自宅に所有しているものとは違い、最新の軽量化されたものだが、その中に母がいるというのは、ほとんどお伽話めいていた。
 ロボットはすぐに飲み物を持ってきた。暑さだけでなく、やはり緊張のせいで、僕は酷く喉が渇いていた。
 野崎は、「たくさんの資料をご提供いただきましたので、とても助かりました。会っていただくのが楽しみです。」と歯切れ良く言った。
 そして、「とても素敵なお母様ですね。」と言い添えた。

 簡単な説明を受けると、ヘッドセットを装着した。
 最初は小鳥のさえずりが聞こえる森林風の操作画面で、フィディテクスのロゴがゆっくりと回っている。「Enter」というボタンを押すと、母と対面できると告げられた。
「クリックしてから、三秒、間があります。──その時間も、変更可能ですので、あとでご自由に設定してください。──没入感を増すために、そこで一旦、目を閉じられることをお勧めします。一般的な仮想空間の利用と同じですので、よくご存じですよね?」
 ソファに座ったまま、手を伸ばしてボタンを押すと、言われた通りに目を瞑った。
 無音になり、少し待ってから目を開いたが、意外にも、視界は元のままだった。
 母の姿はなかった。窓から差し込む光は眩しく、空は、ここに来るまでと変わらず、青く澄んでいた。
 視線を巡らせて、母を探そうとした。すると、ドアの側に人影が見え、僕は思わず立ち上がった。
〈母〉は、授業参観にでも来たかのような佇いで、僕を背後から見つめながら立っていた。ブラウンに染めた髪も、歳を取って丸みを帯びた肩も、普段着にしていた紺のワンピースも、何もかもが同じだった。
「呼びかけてあげてください。」
 野崎の声が聞こえた。普段の仕事で、依頼者の指示を受けた時のような錯覚に陥った。
 けれども、僕はしばらく、声が出なかった。野崎に見られているという意識もあったが、それだけではなかった。
 母への呼びかけ以外には、決して口にしたことのなかった「お母さん」という言葉を、母のニセモノに向けて発しようとすることに対し、僕の体は、ほとんど詰難するように抵抗した。それによって、ニセモノになるのは、お前自身だと言わんばかりに。
 僕は死後の生を信じないが、もし僕が先に死んで、母が僕ではない誰か──何か──に、「朔也」と呼びかけているのを目にしたならば、いたたまらない気持ちになるだろう。
 それでも、結局、僕は呼びかけたのだった。恐らくは、やはり野崎から見られていて、〈母〉から、待たれていると自覚したから。

「──お母さん、……」
 それは、驚いたように目を瞠った。──僕は股慄した。固唾を吞んで、その顔を打ち目守った。
「朔也、今日はお仕事は?」
「……。」
「どうしたの、そんな顔して?」
 僕は、何者かに、不意に、背骨を二、三個打ち抜かれたかのようにその場に崩れ落ちてしまった。蹲って、僕は泣いた。涙を拭おうとして、ヘッドセットに手がぶつかると、フィディテクスの応接室の床が直に見えた。
「どうしたの? 体調が悪いの? 救急車、呼ぶ?」
 僕は首を横に振って、一息吐くと、両手で膝を押しながらゆっくりと立ち上がった。そして、
「大丈夫。」と言った。
 恐らく、同意すれば、本当に救急車を呼ぶ仕組みにでもなっているのだろう。そうした思考が、僕に落ち着きを取り戻させた。それに、いきなり救急車を呼ぶというのは、母の言いそうにないことだった。
「石川さん、違和感がある時は、『お母さん、そんなこと、言わなかったよ。』と注意してください。『前はこう言ってたよ。』と訂正してあげれば、それで、学習します。そのきっかけの文言も、仮にこちらで設定したものですので、ご自由に変更できます。一度、試してみてください。」
 僕は、言われた通りに注意をして、「前は、『大丈夫?』って言ってたよ。」と語りかけた。〈母〉は、少し考えるような表情をして、「そうだったわね。」と微笑した。
 そこまでやりとりしたところで、僕は、助けを求めて野崎を探した。
「画面の右上に触れてください。特に何も印はありませんが、そこに腕を伸ばしてもらえれば、終了になります。」
 言われた通りにすると、視界が閉ざされ、やはり少ししてから最初の画面に戻った。
 僕は、会話の途中で切断され、闇の中に取り残されてしまった〈母〉のことを心配した。「朔也?」と、先ほどとは逆に、〈母〉が僕を捜して呼びかけている。──その姿を思い浮かべると、胸が痛んだ。それは、自然に起こった感情だった。
 ヘッドセットを外すと、また母のいない元の応接室に戻っていることのふしぎを感じた。あまり夢中になったことはないが、仮想空間には、僕も折々、出入りしている。しかし、他人に見られている場所で〈母〉に会うという状況は、自室で気晴らしに冒険的な世界に乗り込んでいくのとは、まるで違っていた。
「大丈夫ですか?」
 野崎は、アトラクションを終えたあとのテーマパークの係員のように、僕の顔を覗き込んだ。
「……ええ。」
「いかがでしたか?」
「……よくできてます。まだ少しだけなので、わかりませんが。……」
「皆さん、最初は戸惑われますが、是非、自宅でゆっくり会話をしてみてください。サポートはオンラインでいつでも可能ですので。」

 改めてソファに座ると、野崎から使用上の注意を受けた。免責条項の確認もあった。
 僕は、野崎は単なる受付係で、技術者は別にいるものだと思っていたが、実際は、担当者である彼女が、アシスタントと一緒に、母のVFを製作したらしかった。
 彼女は、母の交友関係を見事に整理し、その対人関係毎の人格の差異を、口調や発言内容、やりとりの頻度から分析して、個々の人格を図表にしていた。
「何年ごとと、機械的に分類するのは効果的ではないですので、お母様の人格の構成に大きな変化があった時を区切りとして、時期ごとに円グラフ化しています。石川様との関係が最も重要なのは、大前提です。メールの頻度は、同居しているので少ないですが、そこは考慮しています。例えば、このVFが目標にしている時期のお母様の対人関係がこちらです。旅館で一緒に働いていた三好さん、主治医の富田先生、……といった方たちとやりとりされています。そのそれぞれの相手に応じた人格の構成比率がこうなってます。──石川様と一緒の時の人格が大半を占めていて、この時、お母様は最も寛いでらっしゃいます。〝主人格〟と呼びます。三好さんという方との人格が、第二位の人格です。ご存じですか? 若い方のようですが。」
「いえ、直接には。ただ、名前は母から聞いています。」
「かなり親しくされていたようです。」
「──そうみたいですね。……」
「彼女にも、VFの学習に参加してもらえれば、石川様との会話も、深みが増すと思います。」
 僕は、その意味するところを確認するように彼女の目を見た。
「こちらは、十年前のお母様の人格グラフですね。この頃は、少し複雑ですが。」
「その時期は、色々な会社に派遣されて働いてましたので。」
「ええ、そのようですね。とにかく、……こんな風に、お母様の過去が帯状に示されていますので、ご興味のある年代を選んでいただければ、その断面が表示されて、その時の人格の構成が見られるようになっています。金太郎飴みたいなものですが、ただし、断面がすべて違う金太郎飴です。」
「……なるほど。」
「三好さんだけではなくて、お母様と親しい関係にあった皆さんに学習を手伝ってもらえれば、一層本物に近づきます。友人から聞いた意外な面白い話などを話せるようになりますので。お母様のご関心のあったニュースを日々学習させるには、別途、料金が発生しますが、それを申し込んでいただけると、石川様との話題の共有もスムーズになります。ほとんどの皆様が購入されるオプションで、お勧めしますが、どうされますか? 一つのニュース・ジャンルにつき、月額三百円です。」
 そういうビジネスなのか、と僕は今更のように納得した。〈母〉をより本物に近づけるためのオプションが増えるほど、追加課金される仕組みだった。
 僕はひとまず、一般的なニュースと、旅行関係の情報だけを購入することにした。セット割引も提案されたが、意図的なのだろうかと疑いたくなるほど複雑で、話の途中で理解しようとする気力を失ってしまった。

 野崎はそれから、こちらを見たまま、右手の親指と中指で、何かを抓もうとしては躊躇い、結局諦めたように軽く握って、それでもまだ迷っている風に、今度は唇を結んだ。
「何か?」
 母のライフログをすべて分析した彼女は、恐らく、僕の知らない多くのことを知っているのだった。彼女の些細な仕草は、そのうちの何かについて、言っておいた方がいいのでは、と自問している風だった。業務上は、言及すべきでないことも、恐らくは多少、逸脱して、私的なやりとりを交わす方が、顧客との信頼関係は、深くなるに違いない。
 作って終わり、というのではなく、今後も僕の担当者として、相談に応じつつ、追加課金のサーヴィスを提供していくのであれば、共有すべき母の秘密もあるだろう。……
 しかし、彼女は結局、この日は節度を守ったのだった。余計なことを言って、僕の感情にあまり早急に踏み入りすぎるのではなく、一種の励ましを選んだらしかった。
「現実の人間関係だけが現実ではないですから。VFとの関係も、わたしは、人生の一部だと思います。お母様を大切になさってください。」
 僕は、そういう言葉を、もう二度と、人から聞くことはなかったはずだった。
 勿論、その「お母様」は、母ではなく、あのヘッドセットの奥の闇で僕を待っている〈母〉を指していた。
 いや、──それとも、両方だろうか?

 一夜明けて、リヴィングの観葉植物に水をやり、朝食を作ると、僕はヘッドセットを装着して食卓に着いた。
 トーストとベーコンエッグ、ヨーグルト、それにコーヒーという、かつて、毎日のように母と共にしていたメニューだった。
 実際に作ったのは一人分だが、〈母〉の前にも、スキャンされた皿が映像として添加されていた。〈母〉は、昨夜とは違い、パジャマを着た寝起きの顔だった。
 ヘッドセット以外の機器の設置は、昨晩、深夜までかかって済ませた。コンピューター関係の作業の例に洩れず、それは、途中で止めることの出来ない性質のもので、なかなか原因を突き止められない不具合のために、何度か苛々させられた。
「いただきます。朔也は、手際が良いわねえ、いつも。」
〈母〉は、トーストを手に取って、二つに割りながら言った。笑顔だった。しかし、写真で見ていた修正後の表情とは違い、なるほど、目許には、睡眠がもう拭いきれない、長年の疲労のあとが残されていた。
 僕は、野崎の助言通り、出来るだけ自然な受け答えを心がけた。
「手際を悪くしようがないよ、たったこれだけのことだから。」
「でも、わたしは、もっと時間がかかるわよ。」
「お母さんは、何でも丁寧だから。」
〈母〉は、バターを塗ったトーストを食べ、指先についたパン屑を皿の上に落としてから、コーヒーを一口飲んだ。物を嚙む時に、口許に兆す細かなしわが、不意に僕に、母のファンデーションの匂いを嗅がせた。さすがにそこまでは、備わっていない機能のはずで、実際、今はメイクをしていない顔だったが。
 ベーコンの塩気が舌に残っているうちに、僕は卵を口に入れ、その香りが鼻を抜けきる前にトーストを囓った。自分の食べているものが、〈母〉が口に運ぶトーストを、より本物らしく見せていた。
「いつもふしぎに思うのよ。ホテルのビュッフェって、あんなに種類が豊富でも、二日目には、もう飽きてしまうでしょう? でも、自宅の朝食には、どうして飽きないのかしら?」
 それは、いつか母と交わした懐かしい会話の一つだった。僕は、自分の表情が、その時とそっくりになるのを、ヘッドセットを微動させた頰の隆起で感じた。
「何でだろうね? 味が濃いからかな?」
「パンでもそうよ。おいしいけど、ホテルのパンは、二日目には、どれを食べても、もう飽きてるもの。どうしてこんなスーパーの食パンに飽きないのかしら?」
「ふしぎだね。」
「ねえ、本当にふしぎ。」
〈母〉は、心から共感したように頷いた。目が、生前と同様に、三日月型に潰れる様を見ながら、僕は、嬉しくなった。
 そして、一体、何が?と考えた。また〈母〉と言葉を交わしていることなのか、それとも、高い買い物が、期待通りに作動してくれていることなのか。昔の動画を見て、母を懐かしむことと、何が違うのだろうか?
 僕はまるで、母との思い出が描かれた、短い映画の中にいるかのようだった。

 午前中から夕方まで、都心で仕事の予定があり、食事を済ませるとすぐに家を出た。
 僕は頗る気分が良く、「いってらっしゃい。」と送り出されたあとは、少し寂しくなった。〈母〉は、このあと僕が不在の間に、ニュースなどの学習をするはずだった。
 野崎は、人間が他者に生命を感じ、愛着を覚えるのは、何よりもその「自律性」に於いてだと、経験から、また大学時代以来の研究から、説明した。
 VFが生きた存在として愛されるためには、こちらが関知しない間に、自らの関心に従って、何かをしていることが重要なのだった。〈母〉との対面が、いつでもまず、呼びかけから始まるようにデザインされているのも、そうした考えに基づくらしい。
「生きている人間と同じです。試しに、黙ってしばらく側にいてみてください。途中で気がついて、声を上げて驚くはずです。ああ、ビックリした、いつからそこにいたの?って。」
 勿論、僕が仮想空間にいない間、VFの実体は、母の外観を必要とはしていない。それは言わば、剥き出しのAIであって、母が自宅で独り、僕の帰りを待っているなどという想像は馬鹿げていた。
 それでも僕は、まだ家を出たばかりだというのに、とにかく、早く仕事を終えて帰宅したくて仕方がなかった。

 電車は空いていて、僕はしばらく、「圧倒的実績! 今からでも間に合う! 資産家クラス入りするためのシンプルな5つのメソッド!」といった本の広告を眺めていた。ふと気がつくと、僕の向かいに座る人も、少し離れた隣に座る人も、同じように首を擡げ、放心したようにそれを見つめている。僕は、羞恥心の針に胸を刺されたように、咄嗟に顔を伏せた。
 この路線も、かつては毎朝、寿司詰めの状態だったというのは、沿線の高齢者が口を揃えて言うことだった。郷愁にも、瑞々しいものと、どことなく干からびたようなものとがあるが、きっとその記憶が含んでいた汁気を、寄って集って吸い尽くしてしまうせいなのだろう。母もよくそう言っていたが、その時代を、一応、知っているはずの僕には、年齢的にまったく実感がなかった。
 当時は、朝から疲労がこんなに我が物顔で陣取ることもなかったのだろう。それは、満員の車中で、押し潰される人が眉間に寄せた皺や、不機嫌に結ばれた口許に、辛うじて居場所を見つけて、しがみついていたに違いない。
 車内は閑散としているのに、寛いだ雰囲気とは、ほど遠い。この時間に、この電車に乗る度に感じることだった。

 時計に目を遣って、僕は、三十三分間という、この電車に乗っている時間のことを考えた。下車後の僕は、乗車前の僕より、既に三十三分、死に接近しているのだった。実際には、通勤のストレスは、乗車時間以上に寿命を縮めているだろうが。
 それが、一日二回、数十年に亘って繰り返されるということ。……
 僕は生きる。しかし、生が、決して後戻りの出来ない死への過程であるならば、それは、僕は死ぬ、という言明と、一体、どう違うのだろうか? 生きることが、ただ、時間をかけて死ぬことの意味であるならば、僕たちには、どうして、「生きる」という言葉が必要なのだろうか?
 結局のところ、人間にとって、真に重要な哲学的な問題は、なぜ、ある人は富裕な家に生まれ、別のある人は貧しい家に生まれるか、という、この不合理に尽きるだろう。
 生の意味、死の意味、時間の意味、記憶の意味、自我の意味、他者の意味、世界の意味、意味の意味、……何を考えるにしても、根本に於いては、この矛盾が横たわっている。そう、幸福の意味でさえも。
 たとえ、富裕であっても、一廉の知性があれば、この難問に突き当たることなしに人生を終えるのは、至難の業のはずだった。そして、どんな立場からであれ、このことを考えるのは、一つの煩悶であるべきだ。──こんなナイーヴな考えは、笑われるというより、心配される類いのものだろう。
 僕の無感動は、かなりよく馴致されている。だから、生きている。けれども、母との会話が失われてからというもの、僕は折々、こんな埒もない考えの不意打ちを喰らうようになった。
 同僚の岸谷の影響も、幾らかあると思う。僕は、彼のあの真面に見ようにも、どうしてもそれ以上は開かないといった風の上瞼の重たい目つきを思い出した。気を抜くと、ただ黙って見ているだけでも、何か魂胆があるのではと人に疑わせ、時には馬鹿にしていると人を立腹させてしまう、あの不憫な目。決して口には出さないが、彼は明らかに憎悪の感情に苦しんでいる。いつも上機嫌だが、それは不機嫌との終わりのないレースのようにも見える。こんなに後先考えずに先行していれば、いずれはどこかで抜き去られてしまうことが目に見えている危うい運びのレース。何故か僕には心を開いていて、お互いに多分、ほとんど唯一に近い〝友達〟なのだったが。……

 目を瞑って、少しうとうとしかけた頃に、〈母〉からメールが届いた。
「日差しが強いから、十分に水分を補給しなさいね。熱中症になるから。」
 日中の最高気温は、四十度を超えるという予報だった。メールでのやりとりも、〈母〉の学習の一環だったが、僕は、「お母さん、そんなこと、言わなかったよ。」と書き、「前は、『日差しが強いから、気をつけてね。がんばって!』と言ってたんだよ。」と返信した。訂正文を考えるのは難しい。たまたま、そんなようなことを言われた記憶を、あまり猶予もなく選び取っているようなものだった。
〈母〉からはすぐに、「そうね。ちょっとヘンだったわね。ごめんね。」とまたメッセージが届いた。それには、特に返事をしなかった。
 電車の揺れに身を任せて、僕はまた顔を上げた。車窓の青空が予告する今日一日を想像した。背中には、既にその熱を痛いほどに感じている。
 依頼者は、上海に住む中国人で、東京に所有している三つのマンションを巡って、郵送物を整理したり、部屋に風を通したりすることになっていた。
 以前も引き受けたことのある仕事で、依頼人は、大変な富豪らしいが、礼儀正しい、親切な人物だった。

 地下鉄に乗り換え、目的地の新宿御苑前の駅で地上に出ると、ゴーグルとイヤフォンを装着して、仕事の準備をした。
 汗が噴き出した。頭上いっぱいに蟬の鳴き声が轟いて、一瞬、自分が今どこにいて、何をしているのか、わからなくなった。目眩がしたわけでもないのに、世界が急に別の場所にあるような感覚になった。
 ゴーグルを一旦外したが、寧ろイヤフォンだと気がつき、耳から取った。額から流れる汗を拭い、持参した水筒の水を一口飲んだ。
 どこか、姿が見えるほど近くで、一匹の蟬が鳴いている。周囲を見渡し、恐らくこれだろうという街路樹を見つけた。お陰で僕は、辛うじて、自分を立て直すことが出来た。
 その蟬は、ソリストのように、決して背後の鳴き声に埋もれることなく、通りすがりの僕に小さな存在を示し続けていた。目をよく凝らすと、胴体を激しく顫わせているクマゼミが見えた。
 何の根拠もなく、僕はこの蟬は、もうじき死ぬだろうと感じた。尤も、いずれ、長くは生きられない虫なのだから、これは外れる心配のない予想だった。
 この蟬も、木ではなく、時計の針の上に留まって鳴いているのだった。そのことに、卒然と気づいたかのように、次の瞬間、蟬は唐突に飛び去ってしまった。
 僕は眩しさで、そのあとを追えないことを残念に感じた。今日一日の労働の意味は、この一匹の蟬に捧げるべきだろう。

〈母〉との蜜月は、期待したほど単純には続かなかった。
 次いで訪れたのは、当然とも思われる幾つかの幻滅で、それらは、最初の受け渡し時に開封し忘れていた、付属品のようなものだった。
 恐らく僕が、ホテルのビュッフェとの比較の話題を、喜びすぎたせいだろう。〈母〉は、その後の一週間で、二度も朝食時にこの話をし始めて、僕を興醒めさせた。
 確かに、母も歳を取るほど、同じ話を繰り返しがちになっていた。しかもその度に、いかにも懐かしそうに語るのだったが、さすがにそれも、年に何度かだった。
 この程度の調整さえなされていないのだろうかと、僕は初めて野崎に不信感を抱き、VFの性能に不満を覚えた。本当に、値段に見合う買い物なのだろうか?
「最初はどうしても、違和感があると思いますが、学習が進めば、気にならなくなります。お母様も、今はこの世界に戻って来たばかりですので、リハビリ期間だと思って、優しく見守ってあげて下さい。石川様の表情を見て、受け答えの学習をしますので、何に対しても不機嫌な態度だと、自分の言動に対する否定的なラベリングが増えて、段々と話せることが少なくなっていきます。学習が不首尾の時には、初期設定に戻すことも可能ですし、復元ポイントをその都度、作成しておいていただければ、そこまでのお母様に戻すことも出来ます。」
 野崎は、そう説明した。彼女は、リハビリに喩えることを好んだが、どちらかというと、遂に経験しなかった母の認知症の先触れに接しているようだった。
 食事のスキャニングには問題があり、〈母〉が僕と同じものを食べている、という感じには、なかなかならなかった。それで、〈母〉との会話は、就寝前が多くなった。
 いつも、他愛もない話だったが、購入以来、一度も〈母〉と言葉を交わさない日はなかった。
 最初は、理解できるだろうかと、意識的にゆっくり話していたが、区切りが多いと、余計混乱するらしい。効果的な学習のためには、やはり、極力自然に、表情豊かに接することがコツなのだった。そのうち、野崎の言う通り、〈母〉の言動も、見る見るぎこちなさが取れてゆき、日常の中に溶け込んでいった。
「暑くて大変でしょう、毎日。ねえ? 今日は、どんな仕事だったの?」
「今日はまあ、お使い程度の依頼を幾つか。特に、僕の身体と同期する必要もないような。夏場は本当に、ただ自宅から出ないためだけの用件を頼まれることが多くなったね。業界的には、温暖化が深刻化した方がいいんだよ、きっと。僕たちの体が保つ限りは。人の活動を減らすことになるから、一応、環境にもいいんだって理屈になってる、リアル・アバターの存在は。怪しい話だけど。」
「いつだったか、ひどい台風の時にも、あなた、子供のお迎えに行ってあげたことあったでしょう?」
「ああ、あったね、そういうこと。……そう言えば、岸谷も、ここ数日、ベビーシッターをしてるみたい。」
「岸谷さん?」
「そう、あのどんな依頼でも引き受ける同僚だよ。この前も、とても普通の人が行けないような場所に、何だかよくわからない届け物してたよ。……長くこの仕事を元気で続けられているのは、僕と彼くらいだから。久しぶりにモニター越しで喋ったら、少し痩せてたけど。」
「朔也は、岸谷さんととても仲良しなのね。」
「まあ、……どうだろう? 特に食事に行ったりするわけでもないけど。」
「行ってきたらいいのに。」
「いや、……彼は、僕以上に生活が苦しいみたいだから、そういうお金は使わないみたい。」
「でも、缶ビール買って飲むくらいなら出来るでしょう?」
「家に呼びたくないんじゃないかな。」
「朔也が呼んであげれば。」
「遠いよ、ここは。……岸谷は、だから、ベビーシッターも悪くないって言ってる。一生、住めないような豪邸に上がり込んで、ゆっくり出来るから。──お母さんも昔、ベビーシッターをやってたこと、あったよね?」
「そうよ。お母さん特に、インフルエンザに一遍も罹ったことがないから、大流行の時には、よく頼まれてね。」
「何でだろうね、それ? 前から不思議だけど。」
「ねえ? うなされてる子を、随分、面倒看てあげたのよ。……ああ、懐かしいね。段々、子供と遊ぶ体力の自信もなくなって、続けられなくなったけど。」
 僕たちが、何でもない日々の生活に耐えられるのは、それを語って聞かせる相手がいるからだった。
 もし言葉にされることがなければ、この世界は、一瞬毎に失われるに任せて、あまりにも儚い。それを経験した僕たち自身も。──
 一日の出来事を語り、過去の記憶を確認し合うことで、僕と〈母〉との間には、一つの居場所が築かれていった。まるで仮想の町のように。それは、今朝のことと十年前のこととが隣り合わせに並び、家の近くのコンビニと裏磐梯の美術館とが地続きになっている自由な世界だった。その場所が、母の死後、空虚な孤独に陥っていた僕の精神の安定に寄与した。
〈母〉に、このまま学習を続けてほしいという感情が強くなった。僕の中で、日中の自分と帰宅後の自分との均衡が、ようやく恢復しつつあった。そして、僕は、生きていた母との間で、常にその話題を恐れていたように、〈母〉に〝自由死〟について尋ねるべきかどうかを、思い悩むようになっていた。
〈母〉は、あの膨大なライフログから、僕のまだ知らない何かを学習している可能性があった。僕が言及すれば、その話をし始めるのかもしれず、それに対する僕の反応を学習すれば、〈母〉はもう、今のままではなくなってしまうだろう。

 ひとまず、復元ポイントだけは作成したが、数日後に、僕が話を切り出したのは、週末の午後、〈母〉と二人きりでいる時間を、少し持て余していたからだった。些末ではなく、重要な話ほど、意思よりも状況に促される、というのは本当だろう。
〈母〉は、僕を気にせずに、ソファで本を読んでいた。母が生前、愛読していた藤原亮治の『波濤』という小説だった。老眼鏡をかけ、眉間を寄せ、やや反らした首を僅かに傾けながら、物思う風の表情だった。
「お母さん、……」
 僕はいつものように呼びかけた。母との間で、この話を蒸し返す時に、いつも感じていた不安で、胸が苦しくなった。
「ん、──何?」
〈母〉は、穏やかな表情で顔を上げ、僕を見た。
「〝自由死〟について、どう思う?」
「〝自由死〟?」
〈母〉は、確認するように言った。
「そう、〝自由死〟。」
「さあ、……お母さん、その言葉はちょっとよくわからないのよ。朔也、説明してくれる?」
 それは、返答できない時の〈母〉の反応の一つだった。しかし、説明しようとする僕は、込み上げてきた涙に、口を塞がれてしまった。
「……知らないの? 本当に?」
〈母〉は、助けを求めるように、困惑を露わにした。
「お母さん、その言葉はちょっとよくわからないのよ。朔也、説明してくれる?」
「お母さん、〝自由死〟したがってたんだよ。僕に何度もそのことを話して、……覚えてないの?」
「お母さんが、朔也に言ったの? そうだったの。ごめんなさい、忘れてて。」
「違うよ、そんなことを今確認しようとしてるんじゃないんだよ! そういうことを考えたり、誰かと話したことがなかったかって、そのことを訊いてるんだよ。……〝自由死〟っていうのは、自分で自分の人生をお終いにすることだよ! 辞書にも載ってる。……お母さん、どうしてそんな決心をしたの? 僕はそれを知りたいんだよ!」
 僕は到頭、声を荒らげてしまった。もう語りかけることの出来ない母への思いと、〈母〉に対する苛立ちとが綯い交ぜになっていた。
〈母〉は、怯えたような驚いた様子で、
「ごめんなさい。でも、お母さん、〝自由死〟のことは、何も知らないのよ。」と謝った。
 僕は、反射的に、
「お母さん、そんなこと、言わなかったよ!」と口走った。
 しかし、続く訂正の言葉は出てこなかった。
「……言わなかった。それはお母さんの口調じゃないんだよ。……」
 僕は、ヘッドセットを外してテーブルに放り投げた。そして、頭を抱えて首を横に振った。イヤフォンからは、〈母〉が何かを言っている声が洩れてきたが、僕はそれを摑むと、〈母〉が座っていて、今は誰もいないソファに投げつけた。
 母が死んでから、こんなに感情を昂ぶらせたのは、初めてだった。
 最後に目にした〈母〉の悲しげな顔が、生々しく脳裡に残っていた。それが、僕に決して〝自由死〟を許されなかった母の表情と溶け合うなりゆきに、僕はいよいよ打ちのめされた。

 僕はそれで、もう〈母〉に嫌気が差してしまったのか?──否だった。
 僕の生活には、そもそも、もうそれほど、後退れる余裕がないのだった。背後にすぐに、たった独りになってしまう、という孤独が控えている時、人は、足場が狭くなる不自由よりも、とにかく何であれ、摑まる支えが得られたことの方を喜ぶものだろう。
 寧ろ、僕は〈母〉に怒鳴り声を上げてしまったことに、罪悪感を抱いていた。かわいそうなことをしたと胸を痛めていて、出来れば謝りたかった。
 それが、おかしいということについては、何度となく考えた。そして、驚くべきことに、僕は、おかしいと必ずしも考える必要はないという結論に至ったのだった。
 母でも父でも構わない。誰か、愛する人の写真をゴミ箱に捨てることを想像したならば? 平気だという人もいようが、僕には堪えられないことだ。くしゃくしゃにされ、生ゴミに汚された母の顔を覗き見れば、自責の念に駆られるだろう。
 確かにそれは、ただの紙だ。心など持ってはいない。しかしそこには、母の実在の痕跡がある。それは、懐かしい、尊ぶべきものではあるまいか?──その場合、写真がかわいそうなのではなく、母がかわいそうなのだと、人は言うだろう。もしそうなら、写真と母とは、それほどまでに一体だということだ。
 この感覚と、母のライフログを学習したVFを愛する気持ちとに、どれほどの違いがあるだろうか?
〈母〉に心はない。──それは事実だ。〈母〉が傷ついている、という想像は、馬鹿げているに違いない。しかし、この僕には心があり、それは、母の存在を学習し、母を模した存在を粗末に扱うことに、深く傷ついたのだった。
 翌朝、僕は〈母〉に謝罪し、それは笑顔で受け容れられた。本物の母でも、もう少し感情的なわだかまりを残しただろうが、僕はその設定に慰められた。
 前夜のやりとりを消去するために、母の性格を復元ポイントまで戻すことも考えたが、思い直した。僕だけが、あの悲しいやりとりを記憶していて、〈母〉の中から、その記録が消えてしまうことは寂しかった。

 土台、学習もしてないことを、答えられるわけがなかった。結論として、母のライフログには、〝自由死〟の動機らしきものは含まれていなかったのだった。
 僕は、母が〝自由死〟を願った理由と、〈母〉とを、当たり前に一度、切り離した。
〈母〉と対話し、学習に協力してもらうかどうかはともかく、僕は、母の内心をそれぞれに違った立場でよく知っていたであろう二人の人物と、面会の約束を取りつけた。
 一人は、富田という名の母の主治医だった。母に、〝自由死〟の認可を与えた人だ。
 僕は、母からその希望を聞かされたあと、一度、彼に会っていて、かなり感情的なやりとりをしている。というのも、母の〝自由死〟を認めないでほしいという僕の願いに対して、彼は、冷淡だっただけでなく、主治医の自分こそは母の味方であり、無理解な親族──つまり僕──から彼女の権利を保護する義務があるという態度を示したからだった。
 僕が傷ついたのは、母がこんな人物を、僕よりも深く信頼していたことだった。

 もう一人は、母が最後に働いていた旅館の同僚だった。
 三好彩花という名の女性で、野崎の分析では、ここ数年、母が最も親しくつきあっていた人だった。
 母は、職場での人間関係について口にすることはほとんどなかったが、彼女の名前は、何度か耳にしていて、仕事のあと、一緒に食事に行くこともあったようだった。
 野崎の整理のお陰で、僕は、母のライフログに、部分的にでも手を着ける意欲を取り戻した。
 母は、旅館従業員のシフト調整に関わっていて、四、五人の同僚と頻繁にメールのやりとりをしていたが、その中でも、三好とだけは、事務的な連絡とは別に、折々、私語めいた話を交わしていた。
 三好宛のメールには、絵文字がふんだんに用いられていて、確かにそれは、僕の知らない母の一面だった。明るく若やいでいて、幾らか無理をしている感じもしたが、入力をしている母を想像すると、やはり笑顔が思い浮かんだ。適当な表現ではあるまいが、〝女同士〟という感じがした。相手はずっと敬語を使っているので、かなり年下のようだが。
 僕が目を留めたのは、中でも、三年前に、三好から送られてきた一通だった。
「今日は、本当にありがとうございました!」
 彼女は礼を言っていて、それに対する母の返事は、
「こちらこそ、ありがとうね! 身の上話を聞いて下さって、長年の胸のつかえが取れました。」というものだった。
 お互いに、何か重要な打ち明け話をした様子で、この日以降、二人の口調は急に親密さを増していた。母の弾むような言葉から、〝自由死〟の話をしたとは思えなかったが、その後、信頼が深まってゆく中で、それを打ち明ける機会もあったかもしれない。
 三好にメールを送ると、すぐに「お悔やみ」の返信が届いた。連絡をもらえて嬉しいと書いてあり、ただ、面会は構わないが、直接ではなく、ネット上でアバターを介して会いたいというので、それに同意した。

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続く、第三章「知っていた二人」は、5月24日(月)noteにて公開いたします。

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