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『マチネの終わりに』第五章(24)

 主人公であるリルケを愛する若いクロアチア人の詩人は、思いを寄せるセルヴィア人の少女とその家族を匿いながら、ファシズム政権ウスタシャと戦うパルチザンに参加する。他方、主人公とかつて幼馴染みだったウスタシャの将校もまた、秘かに彼女に思いを寄せ、主人公の手引きで故郷を脱出しようとする彼女を逮捕してしまう。

 物語は三人の複雑な愛憎を描きながら、パルチザンの勝利を経て、第二次大戦後まで続く。

 《ダルマチアの朝日》が、実存の孤独の極致とも言うべき透徹したニヒリズムの詩であったのに対して、《幸福の硬貨》には、壊滅的な世界の中で傷だらけになりながらも潰えない愛への深い慈しみがあった。

「どうしてタイトルが、《幸福の硬貨》なんですか?」

「主人公が愛唱するリルケの《ドゥイノの哀歌》に、その言葉が出てくるのよ。――全部で十あるうちの五番目の哀歌。」

 洋子は、ジャリーラが実は、リルケをよく知らないらしいことを察して、彼が二十世紀のドイツ語の詩人としては最高峰の存在であることを、極簡単に説明した。

 《ドゥイノの哀歌》についても、最初に第一の哀歌が書かれたのが一九一一年のことで、その場所が、北イタリアのトリエステ近郊にある〈ドゥイノの館〉だったこと――洋子は、アドリア海を見下ろすその断崖の孤城を、一度、訪れているらしい――、リルケ自身も一年半ほど召集された凄惨(せいさん)な第一次世界大戦を経て、放浪生活の末、十年もの歳月を費やして完成に漕ぎ着けたことなどを、コーヒーを片手に話した。

「第五の哀歌は、丁度真ん中だけど、書かれたのは実は、最後の最後なの。戦争が終わって少し経った頃。一九二二年二月。」

 洋子はそう言うと、立ち上がって、書棚から朽葉色に日焼けした、骨董のような薄い本を取り出してきて、第五の哀歌のページを探した。

 しかし、せっかくならという風に、第一の哀歌の名高い劇的な冒頭も、少し英訳して読んで聴かせた。


第五章 再会/24=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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