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『マチネの終わりに』第六章(5)

 メールだけでなく、スカイプでもよく喋った。七時間のヨーロッパとの時差のために、蒔野は二十年来の夜型の生活リズムを朝型に改め、洋子が夕食を採り終えた時間に会話できるようにしたが、後には「ジャリーラが寝てから」話をしたいという洋子の方が、やや夜型になっていった。
 蒔野は、初対面の日以来の洋子とのメールのやりとりで、既に、その喜びを知りつつあった。
 しかし、殺戮と破壊に満ちたバグダッドに、せめて束の間、気が紛れるようにと、出来るだけ明るい色の言葉を見繕って送り届けていた当時とは違って、今はもう、遠く隔たってはいても、彼女も既に共有しているはずの一つの世界を話題にしているのだった。
 いつか洋子も、梅雨明けの、よく晴れた日曜日の午後に、代々木公園で、そのシャボン玉の銃を手に駆け回る子供たちを一緒に眺めるのかもしれず、どこかでばったりと、さっきまで病院の休憩室で涙ながらに《一休さん》に聴き入っていた医者を紹介されて、その赤らんだ目に、必死で笑いを堪えるのかもしれなかった。
 世界に意味が満ちるためには、事物がただ、自分のためだけに存在するのでは不十分なのだと、蒔野は知った。彼とてこの歳に至るまで、それなりの数の愛を経験してはいたものの、そんな思いを抱いたことは一度もなかった。洋子との関係は、一つの発見だった。この世界は、自分と同時に、自分の愛する者のためにも存在していなければならない。憤懣や悲哀の対象でさえ、愛に供される媒介の資格を与えられていた。
 二人は当然、何よりも互いのことをこそ多く語り合った。スカイプの調子が悪い時は、会話が熱を帯びてくると、身動きする度に画面にブロック状の細波が立った。
 蒔野は洋子に、気になっていた《ダルマチアの朝日》から《幸福の硬貨》に至るまでのソリッチの沈黙についても尋ねていた。

「あんなにすごい映画を撮った人なのに、そのあと九年間も、何してたのかなと思って。バイオグラフィを見ても、大体、そこのところは、すっぽり抜けてるから。」


第六章・消失点/5=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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