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『マチネの終わりに』第六章(10)

  蒔野は、その苦悩を洋子に打ち明けなかった。彼女の愛の恩寵が、自分に何かを齎してくれるという期待に対してまで、彼は必ずしも禁欲的ではなかった。しかし、敢えて言うなら、宮本武蔵の「仏神は貴し、仏神をたのまず」のような心境だった。彼女に救いを求められることと、そもそも無理なこととがあり、意に沿わぬ助言をされて、腹でも立てている自分を想像すると、その愚かさに身の毛が弥立った。結局のところ、これまでいつもそうしてきたように、音楽家として自力で克服するより他はなかった。

 
 無論、その音楽的な停滞の原因が、洋子にあるなどとは断じて考えなかった。
 第一、不調の自覚は、彼女と出会う以前の昨年のツアー中から既に兆していた。新しい才能と出会ったプレッシャーもあった。洋子との愛が、それを今、一層耐え難く感じさせているというのは、皮肉な事実だったが、幾ら何でも、恋に現を抜かしたくらいでギターが下手になるなら、自分のこれまでのキャリアは一体何だったのかと思っていた。
 しかし、驚いたことに、マネージャーの三谷は、どうもそう思っているらしかった。マドリードで蒔野の演奏が精彩を欠いたのも、洋子の存在に翻弄されているからであり、進行中のレコーディングの突然の中止など、昨年末来の彼の異変も、それ以外に考えられない。決して音楽家としての深刻なスランプなどではないのだと。
 蒔野は、彼女の心配する気持ちを疑わなかったが、だからこそ、そうした短絡に苛立つところがあった。「音楽以外のことは、わたしが全部責任を持って引き受けますから。」という、いかにも一生懸命な訴えにも、思わず、だったらまずレコード会社の買収にまつわるゴタゴタを片づけてほしいと、声を荒らげてしまった。
 彼は、仕事の関係者を怒鳴りつけるような音楽家を、常々呆れて見ているだけに、自分のそんな口調につくづく嫌気が差した。しかも、このところ、そうしたことが何度かあり、相手は決まって三谷だった。自分でも不思議なほど、彼は彼女に、感情を逆撫でされるようになっていて、しかも、気落ちする彼女を見て、心底すまない気持ちになった。


第六章・消失点/10=平野啓一郎 

#マチネの終わりに


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