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『マチネの終わりに』第四章(11)

 そこで、自分としては、クロスオーヴァーものの《この素晴らしき世界》で、大きな商業的成功の実績を作ってもらうことが、蒔野のためだけでなく、クラシック部門の社員の将来のためにもなると思っていた。是永はその意図を知らなかったが、蒔野にとって良いことだという点では同意していた。唐突に、蒔野からレコーディングの中止を伝えられて、彼女も動揺していたが、あとで、蒔野はこの買収話を知っているのではないかとも勘繰っていた、と。
 蒔野は、岡島の一々含みのある口調も相俟って、嫌な話を聞かされていると気が滅入った。大体、この話は本当なのか? 是永はもう随分と以前からポップスのカヴァーの企画の話をしていて、今回、ようやく彼もその気になったのだった。アルバムのコンセプトも、映画音楽から日本の歌謡曲まで、幾つかの案が浮かんでは消え、三谷も含めた話し合いの末、ようやく〈ビューティフル・アメリカン・ソングズ〉というところに落ち着いた。それは、岡島の話と食い違うとまでは言わないものの、すんなりとは筋が通らなかった。第一、その間、岡島の存在感はないに等しかった。
 蒔野はそもそも、事実だとしても、グローブに買収された後の自分の扱いを、そんな風に勝手に心配されていたというのが気に喰わない。販売部が、それほど自分を低く評価しているなどという話も、知ったことではなかった。

 得々と話している岡島は、一体、何のつもりなのだろうか?
 二十年もギタリストとして活動してきて、去年は、祝われているのか、自分で祝っているのかよくわからないような数のコンサートをこなしながら、なんとかその手応えを掴もうとしていた。これだけの人が、自分の演奏を聴きに来てくれる。その事実に、彼はキャリア相応の謙虚な感謝の気持ちを抱いていた。
 CDにせよ、何十万枚も売れるわけじゃない。しかし、金も掛けずに、ほとんど一発録りで、そこらのJ―POPより売れるレコードを作り続けているじゃないかと、腹立ち紛れに考えた。二十年間も!……


第四章 再会/11=平野啓一郎 

#マチネの終わりに



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