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『マチネの終わりに』第六章(4)

【あらすじ】蒔野はパリのコンサートで、演奏が途中で止まる失態を演じた。その晩、洋子の住まいを訪ねると、米国人との婚約を破棄して蒔野と一緒に生きたいと告げられる。二人は長い口づけを交わすが一線は越えなかった。蒔野は深い幸福に浸るのだったが……。
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 幸福とは、日々経験されるこの世界の表面に、それについて語るべき相手の名前が、くっきりと示されることだった。
 彼は、日曜日の代々木公園で、引き金を引くとシャボン玉が出てくるおもちゃの銃で遊ぶ子供たちを目にして、この話を洋子にしようとすぐに思った。
 ある時、仕事の関係者との会食に同席した、さる大学病院の内科医は、蒔野のギターを一度も聴いたことがないと詫びた後に、こんな話を――恥じ入る様子もなく、むしろ自信に満ちた口調でした。自分は音楽を、ただ記憶喚起の道具だと割り切っているから、家では《ドラえもん》や《一休さん》、《仮面ライダー》など、幼時に親しんだレコードしか聴かない。そうして郷愁に浸ることこそが、自らを酷使する日々の中で、音楽に期待する唯一のことであって、バッハやモーツァルトも散々聴いたが、そうして得られる癒やしの効果に比べれば、結局、単なるスノビズムでしかなかった、と。
 蒔野は、自分よりも少し歳上のその医師の、芸術に対するほとんど復讐的な冷笑に恐れ入りながら、しかし、なにがしかの真実を含んだその話を、やはり洋子に聴いてもらいたくて仕方がなかった。――実際、彼女はこの逸話に興味津々で、「でも、《失われた時を求めて》の主人公も、毎日、マドレーヌを食べてたら、その繰り返しの記憶の方が強くなってくるんじゃないかしら?」と、笑いながら寸評を加えた。

 コンビニで、釣り銭の一円玉が反り返ったレシートに弾き飛ばされても、いつにも増してしつこい時差ボケのせいで、夜明け前に散歩に出て、燃え立つようなオレンジ色に染まる地平線を目にした時にも、蒔野はそれを洋子に話そうと思い、ケータイで写真を撮ったりした。


第六章・消失点/4=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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