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『マチネの終わりに』第五章(2)

 演奏は、必ずしも悪い出来ではなく、会場の反応も良かった。指揮者もオーケストラも、終演後はほっとしたように上機嫌で、旧知のギタリストたちは、「サトシ、お前、まだ巧くなるつもりなのか!?」と、笑いながら気楽な賛辞を送った。

 昨年の冬に、アランフェス協奏曲を東京で演奏した折には、終演後すぐに、かなり手厳しい自己評価を下したが、今回はむしろ、どことなく不安なまま、案外、悪くなかったのではないかと考えようとしていた。それだけ、余裕がなかった。蒔野の心は浮かなかった。

 実際、目立つプログラムだった割に、彼の演奏は、ほとんど評判にならなかった。

 記事の扱いも小さく、フェスティヴァルのスタッフが日々更新するブログにも、極あっさりとした報告が載ったに過ぎなかった。

 こちらの熱心なファンの中には、蒔野に貰ったサインを自慢しつつ、詳細な感想を英語で綴っている者もあった。アマチュアとしての演奏家歴も長いようで、手の込んだ、全体に好意的な感想だったが、彼はそれを素直に受け止めることが出来なかった。

 一言で言うなら、蒔野の演奏は、他の演奏家に比して、相対的にパッとしなかったのだった。それは、大失敗して酷評されるよりも、今の彼には一層応える結果だった。

 二日目に自分の出番を終えてしまうと、蒔野は、時間の許す限り、他のギタリストの会場にも足を運んだ。楽しみにしていた演奏の幾つかは期待外れで、がっかりするやら、慰められるやらといった調子だったが、それを皆があんまり称讃するので、自分の耳は、おかしくなっているのだろうかと首を傾げた。

 パリのコンサートのための練習の合間に、腑に落ちなかった曲を一々自分で演奏してみて、その録音に耳を傾けた。そういうことも、もう何年もしていなかった。審美的な基準には自信を持っている。しかし、それが世間の基準と、今、合致しているかどうかは心許なかった。そして、自分はギターという楽器に、或いは、音楽そのものに、いつの間にか飽きてしまっていたのかもしれないと考えた。三歳で初めてギターに触れてから、もう三十六年になる。無理もないんじゃないか? そして、そうした不安に怖くなった。


第五章 洋子の決断/2=平野啓一郎 

#マチネの終わりに

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