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定年?

昨日50代の友人から、「定年したら友だちいないっておじさんが多いんだけど、平野さんはどうしたらいいと思います?」と聞かれたので、それについて48歳の僕は考えた。

僕自身経験があるから気持ちは分かるのだけど、子どもの頃から「どんな人と付き合うと得するか(損をしないか)」をベースに考えて相手を選んで生きてると、気がついた時に「友達がいない人たちの輪」の中に自分がいて、周りも似たような人たちしかない状態になるんだよね。

で、それの最たるものが会社。
なので「仕事一筋で頑張ってきたから友だちも趣味もいない」って人は、損得だけで人を峻別してきたから、仕事関係なく付き合える人がいないだけだし、趣味とも出会わなかっただけなんじゃないか説。原因は「仕事」じゃなくて「峻別」にあったんだと思う。

例えば損得勘定しないで、なんとなく誘われて、なんの得だか分からないけど付き合っていたら、流石に何年もすれば好きなこと見つかるか、なんだか仲良しになる相手は何人も現れるものだよ。それを「これに参加しても意味ないな(行くのやめておこう)」とか「この人たちとは仲良くしておくと良いことがあるかもしれない(だから行こう)」なんていう打算的な気持ちで付き合ったりするからだから「会社辞めたら孤独になった」ってことになるんじゃないかな。

そもそも「類は友を呼ぶ」から、打算的な集まりは打算的なやつばかりが集まってくるんだよね。で、打算者同士が打算的にやりとりする…。実はよく考えてないだけで、こういう場所って日常に溢れてるよね。

…打算のスパイラル。

そう言う打算的な人ばかりなのも仕方ないとは思う。だってそう言う世の中だもん。我々はなんと損得ばかり考える狭い世界を生きてきてしまったのだろうと悲しく思う。

しかし恐ろしいのは、ここ最近少しだけ大学生と関わってみた時に、半数以上はそう言うやつだったってことだよ!親がそうで、学校の運営もそうだから、子どももそうなったんだよ。これは絶望するほどにヤバいことだよ。

なので僕は、定年して孤独になる年配の人たちは自業自得だと思うし、損得感情を捨てて草むしりやゴミ捨てをして知り合いを増やすところからやり直しだと思う。

そして自ら損を覚悟で不登校を続けている(もしくはメンタル的にやられていけない子たち)のことを、親やすべての大人は「自分の損得ばかり考えてこんな社会にしてごめんなさい」って心の中で反省して、少しずつでも周りへの接し方(特に子どもへの接し方!)を変えて、これ以上より打算的な方向に自分の周りが向かわないように努力すべきだと思うよ。

で、こういう方向をポエム的に言うだけじゃなくて、具体的に人の行動が変わるような具体的な物事を考案してテレポートとかいろんな方法で社会実装していきたいな。あとはやっぱ現実の学校に代わる広義のメタバース上で、学びと交流の場をつくりたいなぁ。学校組織をよくするの絶対無理だもん。

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