見出し画像

その山は若く、消えることのない畏怖と美しさで溢れていた

なぜか行かなければならない気がしていた。

冬の快晴、真っ青で風もない空、富士山から程近い杉林に降りる。少し湿った土道を歩き、仲間たちといくつかの祠を参る。

僕らの道先案内人の祥一がほぼ偶然声をかけて来てくれた方が、その不思議な谷を復興させようと数十年活動していたと知る。

ある場所に来ると小さな祠が奥にポツンとある。両脇には別々の新興宗教の建てた石碑が。それらは新しい。そして奥にある祠はいつのものか分からない、村人たちが祀る古い何か。なぜかみんなで杉林の上を見上げ、しばし沈黙する。杉の香りがする。無風。遠くから鳥の囀り。

この地は、過酷な村だった。寒くて作物も育たない。だけどここから富士山は見えない。つまり溶岩が滅多にここには来ない。だから辛くてもどうにか全滅せずに生き延びてきたのがこの土地なのではないか。そこには強い信仰のようなものがなければ生きていけない。だから、奇妙な古文書のようなものが大量にあり、たくさんの祠がある。

僕には何か未知のものにすがる気持ちはないけど、そこに生きる人たちの数百年、あるいはもっとたくさんの時間の痕跡を感じることができた。本当に神様がいるかどうかなんて分からないし、僕は知らない。だけど、何かを紡ごうとするその無数の人々と春夏秋冬を無数に繰り返した長い長い時間に深く思いを馳せたくなった。

車に乗ってすぐ田園が広がる。僕が運転する車の後部座席には中老の男や仏師真野くん、ヒロシくんたち。前には祥一の車。左側に大きな富士山。息を呑む。悠久の時間の中では比較的若い。その地下には熱いマグマが溜まっている。やはり若いのだ。そして美しい。あまりに力強く、どう受け止めて良いのか分からない。静かに圧倒される。そしてその畏怖と拝めたくなる気持ちは消えることがない。なんなのだこの存在は。

彼(彼女?)は数百年に一度、このあたりを一気に焼き尽くすのだ。するとそこは地獄になる。だけどすぐに草が生えて、小さなものたちが帰り、繁栄する。それが何度も繰り返される。そしてその営みの中で、その時々の信仰が生まれる。あまりに儚くか細い人々の意識が脈々と連なり、時に神の物語になる。尊すぎる。

その長い長い旅の気配を感じながら思う。
飽和して限界に来た小さくて窮屈な社会の中から出て、この小さくて広い心の旅を見直す人たちが増えてくるだろうと予感する。多分僕のこの予感は数年後に当たるだろう。その時までに、僕にできることをしておくのだ、となぜか思う。

それは先週の糸島の九大の真夜中の教室でも話し合ったことでもあり、数年ぶりに再開した友人とも話していることだ。明らかに何かが変わった。それが何かはまだ分からないけど、そのことをそれぞれの人たちが直感している。その感覚を頼りに、みんなで何かを集めている。それぞれに持ちよっている。

まだ予感や気配としか言えない半透明ですぐに消えてしまうくらいのものだけど、新しい何かに向かっているとそれぞれが信じている。それがやがて新しい現実になるだろう。そして僕らはそれらの村々を訪ねていく旅芸人になるのだ。

なぜか分からないけどそう言う気がした2023年1月吉日。なんだろうな、この感覚は。とにかくこの一年は無事では済まないだろうな(笑)。

ここから先は

0字
座員のコンテンツ・スキルを高め、見たこともない世界へ連れていきます。

さまざまな私塾がネットワークされたYAMI大学。橘川幸夫が学部長の「深呼吸学部」もその一つです。深呼吸学部の下の特別学科の一つが「旅芸人の…

甘党なのでサポートいただいたらその都度何か美味しいもの食べてレポートします!