見出し画像

コロナ禍の一年目を振り返って

僕らが今取り組もうとしているプロジェクトがいくつもあるのだけど、それら全ての共通の発想のベースは、市民エンジニア(シビックテック)や市民アート活動(社会彫刻)みたいなもので、完全な参加型を目指している。
​​
​​そのプロジェクトを通じて人と人とが知り合って関係性が育って、そのプロジェクトが終わるときにはもう超仲良しになってて、どんどん一緒にやりたいことが増えてる、、、っていうイメージ。
​​
​​これまでの商業的プロフェッショナルの世界では、そういうことやろうとすると人生賭けたり、人を説得したり、会社を設立したり、たくさんの資金が必要だった。
​​
​​でもこのコロナの一年で分かったけど、僕らはお金をほぼ使わないで毎日連絡取り合い、一緒に何かを考えて、作って、誰に頼まれたわけでもないのに、気がつけばいろんなプロジェクトに参加していた。
​​
​​であれば、ひとつの疑問が湧く。
​​いったいこれまでの仕事って、なんだったんだろう?
​​
​​もちろんこのままあと1年間今の状態を続けたら貯金も底を尽くし、無理がある。遊んでばかりでは暮らせない。
​​
​​でもだからって、僕らがこの一年でやってきたことは、ただの遊びだったんだろうか?
​​
​​そんなことはない。
​​
​​むしろ、これまでお給料や利益を出してきたいわゆる業務よりも、何倍も気持ちを込めてやってきたし、誰も何も文句を言わずにZoomやSNS上やクラブハウスのような場所に集まり、メッセージをやりとりし、決して楽ではないタスクを拾い上げて、それをこなしてきた。
​​
​​そこでギャラを請求する人なんて一人もいなかった。講演にせよ、トークショーにせよ、勉強会にせよ、お互いに一度も謝礼の話すらしなくなっていた。
​​
​​これは一体なんだ?
​​
​​つまり僕らはこの1年間、いつのまにか「お金のない世界」の実験をしていたんだよね。
​​
​​だからといって、僕らがこのまま「お金のいらない世界」に移行するのは夢物語だとは思う。やはり生活費は必要だし、ローンがあったり、教育費があったり、みんなそれぞれに事情と荷を背負ってる。
​​
​​それでもこの1年間、お金をやり取りせずに健全な関係をつくってこれたのは、なぜなんだろう?
​​
​​それは、まずそのプロジェクトが楽しそうだった。素敵に感じた。自分も参加したいって思えたからだと思う。お金を得られなくても、それに代わるもの、あるいはお金よりも自分にとって良いことをもたらす何かがそのプロジェクトを通じて知れる、得られるんじゃないかと思ったからなんじゃないだろうか。
​​
​​一言で言うと「やりたいと思ったから」ということになる。
​​そして、自分にはそこで語る言葉がある、あるいは手伝える何かがある、やりたいことや、教わりたいことがある、仲良くなりたい誰かがいるっていうことをハッキリと感じていたからなんだと思う。
​​
​​そしてもっともっともっと大切なこと。
​​それは、その人と一緒にそのプロジェクトを続けたかったということ。
​​
​​言葉にすると恥ずかしいけど、大好きな人たちと少しでも多くの時間を過ごしたかったのだ。そうするともっと好きになっちゃう。お互いが成長して、優しくなる。

この喜びを知ってしまった僕らは、もう元には戻れない。

大切なことは、お金がいらないことを過大評価したり、無理してそれを目指すのではなくて、僕らが自分の時間や能力を使って何かをするときに、それが「自分がそれをやりたい、そこにいたい」と思っていることかどうか。そういうところから物事がスタートすることが何よりも大切なんだ、と言うことなんだと思う。
​​
​​その魅力を前にしたら、僕らは生活に困っていない限り、たくさんの時間を縛られてやりたくもないことを労働としてやるよりも、確実にそっちを選びたい。選びたくて仕方ない。
​​
​​であれば、僕らが目指すことはふたつしかない。
​​
​​まず、一緒にやりたいことをどんどん発見していくこと。産み出していくこと。出来るだけ淀みなく、まっすぐに、参加型プロジェクトをこの世にたくさん放っていくこと。
​​
​​「参加型」とは、お客さんとして参加するという意味ではない。関係する全ての人と一対一でお互いの人間関係に積極的に関わっていくという意味だ。人間関係が全ての中心にあり、それがどんなプロジェクトであっても、その目的はピアツーピアの精神がベースにある。
​​
​​そう言う参加型プロジェクトがたくさんあって、年齢や性別や人種や経済環境による障壁がなるべくなくて、参加したいと思う人が参加できる状況をみんなでつくっていくこと。今すぐにそれは無理でも、全員でそれを目指していくこと。仲間外れは作らない。ある側面だけを切り出して、そこで優秀かそうではないかで選抜なんか絶対にしない。これができなくても、誰もできない別のことができるかもしれない。一緒にいたければ、それで十分なのだ。
​​
​​そしてもうひとつは、こうした参加型プロジェクトに思い切り全身で飛び込めるように、そのために必要なお金を得たり、そういう生活環境と人間関係の中に身を置けるようにみんなでアイディアを出し合い、助け合い、工夫して、そういう環境をみんなで作っていくこと。
​​
​​もう、お金を得るために自分の大切な時間を我慢して売ったり、お互いに好きでもない人と無理をして付き合ったりすることはやりたくない。
​​
​​信頼し合える人がせっかくいるのに、その人たちと関係を深める時間や機会がたくさん奪われていることを、正直に悲しいと思おう。それは、真剣に解決したほうがいい最優先課題だ。
​​
​​今は、会いたい人や語りたい人、一緒に何かをしたい人とすぐに会える。集まりたい人と今すぐにでも集まれる。
​​コロナ禍を通じて、僕らはずいぶんと辛い思いをしてきたけれど、その代わりに「いつだって会える」「リモートでも仲良くなれる」という環境を手に入れた。
​​
​​だから、イマココがまさに新しい出発点なことは間違いない。今、僕らは新しいパラダイムに移ろうとしている。
​​
​​これまでのさまざまな思い込みを一度頑張って捨てて、自分がこれから何を大切にして生きていきたいか、誰と深く関わっていきたいか、どう生活していくかを考えていこう。
​​
​​そう言う話をたくさんの人たちとしていこう。そして何年かかるかは分からないけど、参加型プロジェクトにいくつも参加して、心地よい毎日が過ごせる環境をつくっていこう。
​​
​​ひとりや、ひとつの家族でそれは実現できないと思う。でも、何人かが集まったり、いくつかの家族が力を合わせて、これまでの働き方や、学び方や、あらゆる関わり方を少しずつ変えていけば、きっと驚くほどそれぞれの日常は変わっていくと思う。
​​
​​大きく社会を変えることはできなくても、身近な人と力を合わせれば、ひとりひとりの暮らしは変えられる。確実に。
​​
​​どんなに辛いことがあっても、ワクワクが勝る。そう思えない人には手を差し伸べて、共感できる人とはとことん仲良くなっていこう。きっとお互いがそれを求めている。その気持ちを信じよう.

ここから先は

0字
座員のコンテンツ・スキルを高め、見たこともない世界へ連れていきます。

さまざまな私塾がネットワークされたYAMI大学。橘川幸夫が学部長の「深呼吸学部」もその一つです。深呼吸学部の下の特別学科の一つが「旅芸人の…

甘党なのでサポートいただいたらその都度何か美味しいもの食べてレポートします!