#2 自分に合った形を一つ一つ選んでいく
2022/04/19(Tue) 9:18
習慣をつけようと色々と取り組み始めた。
以前超早起きを続けて、ワークアウトも続けて、勉強も続けて1ヶ月半過ぎて疲れて熱が出た事があった。
やることを決めてコツコツと続けるのは得意な方なのだけれど、心が疲れていることに気づくのが疎くて、知らぬ間に体までダウンしてるみたいなことがある。
自分が絶対これはやりたい!と思えていたらそのために走るので心も元気なのだけれど、やったほうが良さそうだし、ということを続けるのがだめ。
やり方も、一般値に合わせて決めていた。自分が心地いいことを選ぶという選択肢がなかった。
何度もダウンしてみて、”普通”に合わせて自分が死んじゃうなんてなんかおかしいや、と思った。大事なのは成果よりも、自分が生き延びることだなと思った。
体を動かす習慣をつけたいと思って、ランニングを始めてみた。以前もトライしていたんだけれど続かなかった。なんでかな?と思っていたけれど、今日やってみて、長距離より短距離がすきだったやと思い出した。ランニングアプリを使って20分走るのは自分には向いてなかった。イヤホンも外して外の音や空気を感じながら歩く方が好きだ。そして50mくらいの距離を全力で走った。自然と笑えた。楽しい。以前より体が重い気はしたけど、まだまだ体はよく動くし、速く走った時の景色が気持ちいい。20分かけてゆっくり走るのはいつか好きになれるかもしれないけれど、今のところ、50m走を続けてみるか、という気持ちになった。
18:05
歌を歌った。以前自分が書いた記事に「自分が楽器であること」って言葉があって、あ、そうだった、と思った。中学高校と吹奏楽部で管楽器を吹いていたから、その特訓を生かせば歌にもいい影響があるんじゃないか〜と思った。なんだか懐かしい感じがした。
私はいつもやっぱり詰めが甘い。なんとなくできることはたくさんあるけど、やっぱりなんとなくで終わっちゃう。最後までやり切るとか、完璧にやるみたいな事が苦手。けど、そういうセルフイメージになっちゃってるだけなんだろうとも思う。
詰めが甘い自分でいることが、私の自信を失わせている気がした。理想が高くて自分に厳しいって言われることもある。けど、自分が納得できないのにこれでいいって言い続けることの方が辛い。
詰めが甘い自分でいた方が、背負うものもなくて気楽だし、心や体力をすり減らさずに済む。だからずっと採用していたのかもしれない。
どっちにもいけずに、ずっとそわそわしていたみたいだなあ。場合分けできればいいな。
何かをやりたいと思えること、挑戦しようと思うこと自体がすごい。と言われた事がある。確かに、変わっていくことって、すごく勇気がいる事なのかもしれない。今日、久々に怖気付く感情が自分の中に見えた。
でも、それは今と目指す場所のギャップを自分で設定して、そのギャップに注目しているから起こる感情かもしれない。
一歩一歩、歩けばいい。大丈夫って思える場所を少しずつ広げていけばいい。想像していた距離より、案外近いかもしれない。
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