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足並みを「そろえさせた」その先に…何があるかを考えよう!

そろえていないと…、みんなと同じにしないと…、周りの人に何か言われそうで怖いな…。

そうやって、他人の目を気にしてばかりいる人に、心安らぐ瞬間は永遠にやってきません。

そういう私も、かつて「生徒指導主任」をしていた20代後半は、教員として生徒にアレコレそろえさせていた時期がありました。
#そろえること自体が悪いとは言っていません
#日体大のエッサッサや 、全国1位のチアダンス部の演技は本当に美しいです

ただし、「エッサッサ」や「チアダンス」をやりたくて望んで入ってた人たちと、そういう意思を持たずに「偶然集まった人たち」を同じように管理統率しようとするのはとても危険な行為です。


どんな目的でそろえるのか?
または、児童生徒がどう思っているか?

それが重要なのです。
生徒自らがキレイな集団行動を見せたい!とか、
そろっている方が、自分たちにメリットがある!と、子どもたちが思っているなら良いのです。
一方、そうではなく、子どもたちが望んでいないのに、アレコレとそろえさせる行為は、本末転倒と言えます。
#そろえる 「意味」や、「目的」が不明瞭な状態で、そろえさせられる側の立場なって考えてみれば見えてくるものあがあります。

だから今、私は「団結」という言葉は、とても丁寧に、注意深く使うようにしています。

「団結」した先に、生徒たちの望む何かがあるなら大いに団結した方がいいでしょう。
でも、「団結すること自体が目的」になってはいけないのです。
そうならないよう、状況を俯瞰して見ることを怠らないようにしています。

いろいろ書きましたが、久しぶりに担任として携わった体育祭にて嬉しいことがたくさんありました。
その一つが、大縄です。
チームの記録更新を目指し、必死に跳び続ける生徒さんたちの、真剣で本気の姿を見て、グッとくるものがありました。

このように学校行事では、目立つ活躍をした人が注目されやすいです。
しかし、見落としてはいけないのが、ケガや体調不良、その他、様々な理由で、競技に参加しないことを選んだ生徒もいるということ。これはなんら悪いことではありません。
そのような選択ができる状態を作ることも大事だと考えます。

集団競技に参加せずとも、応援席、あるいは家からでも、その生徒がチームのことを思ってくれたのなら…そのチームは団結したと言っていい。と私は思っています。

そう、「団結」という言葉は、
その団結の❝仕方❞を誰か一人の価値観で限定しないことが大切です。

【リンク】教育サイト「先生の学校」記事👇


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